妖の剣士 2


ティラの娘。
その聞き慣れぬ言葉を胸で反芻しながら、サファイアは男を追う。
(古代の、闇の怪物と言った。…何故そんなのが今頃出て来る?)
街で噂になっていたのは、鳳凰ではないのか。女性――闇の力を持つ少女なのか。
だが最大の謎は、目の前を行く仮面の男である。何故一人でこのような所にいるのか。冒険者らしくは見えない――正直な話サファイアは、目指す頂上から吹く風と同じだけの禍々しさを、この男から感じていた。だが先程男が扱った小剣――サファイアの操る聖なる魔法以上に眩い武器を、心を悪に染めた者が制御できるだろうか?

(一体、何者なんだろう…?)

その疑問を口に出せぬまま――崖の路を登りきった彼女の視界に突如、一羽の鳥が舞い降りる。
色とりどりの羽根に覆われた巨鳥。翼の動きに合わせて、鱗粉の様な煌めきが散り――それが火の粉だと気付いた時には、炎の風が眼前に迫っていた。

「――うわぁっ!?」
「きゃあ!」
咄嗟にルルを背後に突き飛ばす。尻餅を付いた幼女は、だが幸い火傷を免れた。
自身の腕の肉が焦げる匂いに辟易しながら、サファイアが目を走らせると、もう一人のリルビーも辛うじて炎を避け、その向こうで仮面の男が光剣を閃かせていた。だが巨鳥は悠然とそれをかわす。
波のように押し寄せる、あの重苦しいざわめき――これが、あの気配の正体。
「――レルラ!」
「了解!」
少女の意図を汲んだレルラが、素早く弓を番える。目潰しの毒を仕込んだ矢が連射された。その隣で、痛みを堪えながらサファイアは聖魔術の構成を編む。
「光よ!」
声に応えて、上空に現れた光の玉が、鳥に直撃する――だが力強い羽ばたきに変化は無く。うっそ、と彼女は呻いた。
(効かない…!? それとも光なんか飲み込める位、強力な闇の力だって事かよ!)
一旦高く舞い上がった鳥が、サファイア目掛けて急降下してくる。咄嗟に少女は手元の構成を編み替えた。放たれた強力な毒素――それを受けた鳥が一瞬仰け反った隙に、少女は脇に転がった。
再度レルラが矢を射る。ザシュ、と音を立てて突き刺さる凶器。反転しかけた巨鳥がクアア、と首を振る――視神経に毒が到達したのだ。
回り込んでいた仮面の男が剣を振り翳す。眩い輝きが一閃し、巨鳥が奇声を上げた。毒々しい程鮮やかな体から黒い霧が溢れ、4人の前で爆発を起こす。
思わず全員が首を竦め――目を開けた時には鳥の姿は消え失せていた。

半ば呆然とするサファイアに、ルルアンタが駆け寄る。腕の傷を手当てされながら、サファイアは男の行動に目を留めた。跪き、祈るような仕草をする彼。
「ありがと、ルル。…何をなさってるんですか?」
立ち上がった男に少女は問う。「ああ、今の祈りですか?」と彼は振り返った。
「闇の力を浄化したのです。念には念を…というところでしょうか。ともあれ、これで闇が一つ滅びましたね」
どこか感傷的にも思えたその響きは、だがすぐ元の単調なものに変わる。
「それでは、急ぐので失礼致します。またお会いすることもあるでしょう」
言い様、男は背を向ける。サファイアは慌てて立ち上がった。
「あ…あの! 良かったらお名前を伺えませんか? 私はサファイアといいます」
「…私の名…ですか?」
暫し宙を見た仮面が、サファイアに向く。
「…あの方は、私を、サイフォスとお呼び下さいます」
(…あの方?)
疑問が頭を掠めたが、それには構わず、
「サイフォスさん、ですね?…ありがとうございました、サイフォスさん」
少女は深々と頭を下げた。
仮面の男は、戸惑うな様子を見せたが、ややあって「では」と一つ頷き。空を見上げ――その刹那、地面から光の柱が立ち、男の姿と共に消滅する。
後に残されたのは呆気に取られた3人。

「瞬間移動…。すごい、それに強いね。あの人…」
レルラの呟きに頷き、サファイアはふと、ではやはりあの鳥が「ティラの娘」だったのかと納得した。――娘、という形態には見えなかったが。ティラとは何者だろう。…そう言えば、噂の鳳凰もあれの事だったのか。
依頼を思い出し、彼女は慌てて周囲を見回したが、羽根の一枚も残ってはおらず。あの子はがっかりするだろうな、と溜息を吐いて――足音に気付いた。
目を向けた山道から、人影が走り出てくる。

(――――☆)

サファイアは、今度はそのまま硬直した。
現れた人物は仮面も闇の気配も纏っていない、ただしやはり奇抜な格好だった。夜明け前の空の色をした腰までの長髪、それに縁取られた線の細い面立ち――だが首から下の、何故か腹部を露わにした鎧が包む体格は、どう見ても女性のそれではない。
…幸か不幸か、サファイアは相手の性別について悩む時間を必要としなかった。

「貴様、今ここに小剣を持った仮面の男が居なかったか?」

女にしては低めの声が帯びる、その傲慢な調子に、忽ち反発心を抱いたのである。

「…いましたけど」
「そうか。奴はどっちに行った?」
矢継ぎ早の質問に、サファイアはつい視線を険しくする――自分より一回り大きな相手。その髪と同じ、紺色のきつい瞳を睨み。ふいと逸らして「目の前で消えました」と吐き捨てた。
「瞬間転移か……ふん、まあいい。消えたならまた追うまでの話だ」
男は顎に手を当て、虚空を一睨みした後、少女に再度目を向けた。
「…貴様、名を名乗れ」
「……は?」
「今この状況では、貴様が唯一の手掛かりだ。名乗れ」
有無を言わさぬ調子に、彼女はかなり怒りを覚えたのだが、麓へ下りる道を塞がれた格好で押し問答していても埒があかない。視界を早く切り替えたい思いもある。
「…サファイアです」
好意的とは程遠い口調を、だが相手の男は気にする様子も無く、
「サファイアか。少し貴様と行動を共にする。行くぞ」
すたすたと山道を戻る。唖然とする仲間に挟まれた少女は、何なんだこの人、と胸中で毒づいて――ふと既視感に栗色の目を細めた。
…だがこの時サファイアは、長髪男の服装が強烈過ぎて、つい露出度の高い知り合い2名を連想し、
(…今年はお腹を出すのが流行なんだろうか…)
と顔をしかめる他無かったのである。

不遜な態度を取るだけあって、青い髪の青年は強かった。
闇の気配が消えたのを知ってか、頂上付近に舞い戻ってきたモンスター達。それらを彼は、サファイア達が3人がかりで1匹倒す間に、3匹殺す勢いで、次々に片付けていったのである。
「…サファイア、あの人強いねー…」
ひそひそ声のルルアンタに、栗色の髪の保護者は渋々頷く。
さっきの戦いで魔力を大きく消耗してしまい、武器攻撃に頼らざるを得ない現在の彼女が、男から見れば非力の極みであろう事は容易に想像がつく――サファイアは苛立ち紛れに前髪をかき上げ、ちらと男を見遣った。
ドワーフのデルガド並みの破壊力に思える。腕力は流石に劣るかも知れないが、彼の武器がそれを補っているようだ――男が片手で操る、サファイアのそれより遥かに大きな剣。白刃とは形容し辛い、何か微妙な、暗い輝きを帯びている。例えば――先程の化け物のような。
(サイフォスさんと逆だな…あの人は、雰囲気は闇に近いけど、剣は聖性だった)
目の前の男は、恐ろしげな武器を持ってはいても、外見は普通の人間である。…否、やはり普通とは言えない。
格好こそ奇抜だが、この男、女性と見紛う程の美形だった。微笑みでもすれば誰彼構わず見惚れさせるに違いない。…だが生憎、サファイア達が見る顔はそんな想像も許さない程に険悪で。
…艶のある長髪が揺れ、それと冷たい瞳がサファイアを捉える。不愉快さがいや増して、彼女はぷいと顔を背けた。その手が知らず胸元に伸びる。服の下に隠した、硬質の感触――首飾りを肌に押し当て、それの持ち主が漆黒の双眸を細めた様を想う。――あの人は、優しい顔しか思い出せないのに。
(今日は嫌な感じの人にばっかり会う…ついてない)
…だが、嫌な事とは重なるものらしい。麓に辿り着いた瞬間、サファイアは今日の運勢が最悪だと確信した。

「うふふ、サファイア。また会えて嬉しいわ…」

以前ロストールで彼女を殺しかけた、あのアーギルシャイアまで現れたのである。