妖の剣士 3

突如、目前に沸いて出るという、心臓に悪い方法で登場した妖艶な美女。
それを見て、サファイアは知らず一歩後退った。両隣のリルビーを腕で庇うように――その脇から長髪の青年が踏み出す。
「ふふ…でも、とっても残念。私、あなたとの約束を果たせそうに無いの。…私、あなたと一緒にいる人が邪魔なの」
くすくすと笑う魔人。厭な記憶に焦りながら、サファイアは咄嗟に青年を見遣った。訝しげな瞳にぶつかる。
「だから、あなただけをじっくり殺してあげられないの…」
は、と振り向いた二人の前で、魔人は右手を翳す。
…次の瞬間、黒っぽい霧と共に現れた物体に、サファイアは頭を抱えそうになった。
(――また、ナメクジかよ!)
リベルダム製の巨大な改造モンスター。それを見て、青年が低く声を絞り出す。
「貴様が…やはり…!」
怒気やら怯えやらでそれぞれ顔を歪める4人を満足そうに見回し、アーギルシャイアは、見るからにおぞましい改造生物を愛しげに撫でた。
「これが二人の運命だったのね。…別れが辛くなるから、私は失礼するわね」
「――待て!」
語気の荒さに、ルルとレルラが少女の脇でビクと震えた。一歩踏み出す青い髪の男、それに魔人が婀娜っぽい笑みを向ける。
「しつこいわ、セラ。もう大人になって……私も、もう大人なの。あなたの保護はいらないわ。…新しい保護者も出来たしね」
「貴様アァッ!」
怒りも露わな男と対照的に、楽しげな笑い声を零し。美女は、口元の指をサファイア達3人に向けた。身を強張らせる少女――その予想に反して点った、暖かな光。
「最後に、あなた達を元気にしてあげる。より苦しみを味わいながら、死んで頂戴」
魔法力を枯渇させた少女の身体を、春風のような爽やかさが駆け巡る。
驚く顔を見届けた魔人は来た時と同様姿を消した。抑えを解かれた巨大ナメクジが3人に突進し――サファイアの魔術が炸裂する。一瞬で炎に包まれ、化物は体液も残さず消滅した。魔力を完全回復したサファイアの敵ではなかったのだ。
(…私があの時より少しは強くなってるかも、とは思わなかったのかな)
安堵の溜息を吐いて、少女は視線を転じる。アーギルシャイアが消えた辺りを睨み付ける男――セラと呼ばれていた青年へ。
禁断の聖杯を追う魔人と彼は、一体どういう関係なのか。

「…一体、どういう事です? あの人は…」
「――お前達には関係ない!」

男の言葉に、サファイアがびくりと身を竦ませる。…まさかそこで怒鳴られるとは思わなかったのだ。
少女の反応で、自分が冷静さを失っている事に気付いた男は、軽く首を振った。
「…いや…済まない。俺がお前達を巻き込んだのだな…」
苦い自嘲の声。あまりに殊勝に響いたので、サファイアは思わず彼を見つめ直す。
(この人…意外といい人かも)
…このささやかな誤解を、栗色の髪の少女は、きっちり10秒後に後悔する。
「アーギルシャイアの事も、知っていたのか」
問いかけに頷く少女を見、青年は再度、虚空を見遣った。僅かな間の後――

「…俺も、お前と一緒に行かせて貰おう」
――落ちてきた呟きを、3人は数秒間、理解できなかった。

「…は?」
「俺の名前はセラだ」
「いや、あの」
「お前に断る権利は無い」
きっぱりと言い放つと、青年はその蒼い双眸で、絶句した3名をねめつける。
「そして、此処にはもう用は無い。行くぞ」
すたすたと街の方角へ向かう彼の背中を、呆然と見つめ――ルルとレルラは不意に、二人の間に立つ少女の拳が、戦慄いている事に気付いた。…否、よく見ると拳だけでなく。
(……っの、人ぉ………!)
全身を怒りに震わせて、サファイアはセラと名乗った男を睨み付けた。――なんっちゅー自分勝手で強引な。断る権利は無い、だと? こっちの都合も聞かずに?
(少し強いからって、この長髪男――!)
そう心の中で叫んだ瞬間であった――少女が山の頂上で感じたデジャヴの正体を閃いたのは。――どうして思い出さなかったのだろう? やたら強くて、傲慢で、人の話なんか全っ然聞きやしない男が居たではないか。一人。否――
死ぬほど嫌いな金髪の義兄の他に、先日も出くわした危険な格好の救世主まで脳裏に浮かんで、サファイアは思わず荷物を地面に叩きつけたくなった。
(何で私の周りは、ンなふざけた男ばっかなんだよ!!)
この時、彼女の頭には「長髪男=大っ嫌い!」との公式が燦然と輝いていた。
…幸か不幸か、猫屋敷の賢者や新ディンガル皇帝は、彼女の意識には無かった。


「…そうなんだ。あの鳳凰、悪い鳳凰だったんだ…」

数時間後。冒険者ギルドで待ち構えていた依頼者に、サファイアは事情を説明していた。噂の鳥が、周囲の生き物を脅かす程凶悪な化物であった事。自分達が倒してしまった事――。
証拠の一つも持ち帰れなかった、と詫びる彼女に、依頼者はつぶらな瞳を向ける。
「でも、確かにいたんだよね? 嘘じゃなかったんだよね?」
少年の問いに、サファイアは力強く頷く。そっか、と少年は落胆したような、でも何処か満足したような表情を浮かべた。
「自分で見れなかったのは残念だけど…でも、ありがとう!お姉ちゃん」
満面の笑顔に、サファイアは軽く目を見張る。一瞬、記憶の笑みが重なった。
――ありがと、姉ちゃん! オレうんと大事にする!
「僕もいつか、お姉ちゃんみたいに、自分で世界を見て回れるような強い冒険者になるよ!」
そう言って、ギルドを駆け出していく少年の後ろ姿。まるで願いの叶った弟のような。
「…そうかい、鳳凰は本当に居たかい」
ギルドの主人の言葉に我に返る。「お前さん、本当に優しいんだね」と微笑われ、
「…単に、愚かなだけではないのか?」
横から割って入られて、彼女は一気に渋面になった。何故か彼女について来たセラが続ける。

「まさか子どもの頼みで鳳凰山に登ったとはな…。どういうお人好しだ。それとも果てしなく暇人なのか、お前は?」
「…歳は関係ないだろ。依頼は依頼だ」
「あんな子どもがまともな報酬を払える訳もあるまい。金にもならん仕事をいちいち引き受けているのか?…俺はそんなくだらん事で時間をつぶす気はないからな」
「…っ、あのなあ! いい加減にしろよあんた!」

とうとうキレた少女の怒鳴り声に、周囲が驚きの眼を向ける。

「頼まれたら引き受けンのが私達の仕事だろが! くだらないかどーかは基準じゃないだろ!」
「自分の実力と敵の強さが基準だな。あの弱さでよく上まで辿り着けたものだ」
「んなこたわかってる! あんたの言い方が問題だっつってんだよ!」

栗色の瞳で思いっ切り相手を睨み付けると、サファイアはくると踵を返した。
「…どこに行く気だ」
「帰る!」
怒声と同時、バンと扉が閉まり――呆れ顔で長髪をかき上げるセラに、店の主人が笑いを零す。
「あんな顔、初めて見たよ。あの子を怒らせるたぁ、やるねえセラ」
「…? あの女は常連なのか?」
久方振りに見る青髪の馴染み客の言葉に、主人は目を瞬かせる。一緒に旅してるんじゃないのかい、との問いに否定の仕草を返され、彼は首を傾げた。
「あんたが面倒見てるのかと思ったよ。…だとしても、噂ぐらいは聞いたことあるだろう?<風の微笑>ってさ。どんな割に合わない仕事でも、笑顔で引き受けては確実にこなすって…」
「――あいつが!?」
セラは紺碧の双眸を見開いた。高度な魔術、とりわけ風属性のそれを自在に操るという、今話題の若手冒険家の通り名。かなりの美少女だと評判なのだが。
(…噂には、尾鰭が付くものだな)
訳あって、美形にも魔法使いにも見慣れている彼は、あっさりとそう結論付けた。


同時刻、ギルド東の宿屋のロビーでは。

「でもぉ…セラさん悪い人じゃなさそうだけど、サファイアと仲良くなれるかなぁ…?」
「だーいじょうぶだって。あのサファイアが、実力より自分の好き嫌いを優先すると思う? 僕らの安全を考えたら、絶対仲間にした方がいいって思ってるよ」

新参の青年をパーティに入れるべく、レルラがルルを説き伏せていた。
旅の行程など、重要な決定をする際、リーダーである栗色の髪の少女は、ルルアンタの意向を優先する事が多い。従って、この幼女を味方につけた者が、事実上の最高権力者となる。

「デルガドが帰っちゃって、サファイア元気なかったじゃない? あんな喧嘩友達が一人出来れば、きっと張り合いが出て、頑張ってやるーって思うに違いないよ」
「んー…そうだね、あの人強いもんねぇ」
「でしょ? まぁさっきはちょーっと険悪だったけど、後でルルが一言言ってあげれば仲直りするよ。サファイアはルルに甘いもん」

そっかなあ、と照れる幼女を見ながら、レルラは考えを巡らせる。――折角の英雄伝説なのだ、彩りは多いほうがいい。ましてあんなに可愛い子に、恋愛対象が一人だけなんて勿体無い。
(アクセサリーをあげた位で安心するのは甘いよ、ゼネテス?)
強い上に美貌の持ち主という、最大のライバル登場の予感に、吟遊詩人は胸を躍らせる。彼自身は苦手なタイプだが、これも良い詩を作る為――そう胸中で呟き。
目の前に座るルルアンタの表情に、説得が上手く行った事を確信して。

――サファイアにとって、実に理不尽かつ不愉快な旅が、幕を開けようとしていた。


 


前半シリアスだったのに…(泣)しかもレムオンファンを敵に回したかも;



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