妖の剣士 1


ウルカーン南の鳳凰山。その中腹――切り立った崖の道を進む、大小3つの影。

「――よし、これで全部みたいだね」
矢を受けたモンスターが燃え尽きるように消滅するのを見届け、構えを解いてレルラが振り返った。
視線の先には、得意の魔法で残りの敵を一掃した栗色の髪の少女。その傍らに立つルルアンタが小刀を持つ手を下ろし、ほうと息を吐く。
「この前の炎竜山より、多かったねー」
本当に、と少女――サファイアが頷く。その表情に翳りが見えるのは、疲れの所為ばかりでない――戦力不足を思い知らされた為だ。
(デルガドがいないと、やっぱりキツイな…)
険しい目で山頂を見遣る。――だが、依頼を放り出して引き返す訳にもいかない。
(あと少しで着く。頑張ろう)
くしゃっと前髪をかき上げ、彼女は仲間に笑って見せた。冒険中は胸中の不安を表に出さないのが、彼女の常だった。見慣れた強気な微笑みに、安心したような顔で二人のリルビーが応える。


昨日、もう一人のメンバーであるデルガドが、パーティから抜けた。
最高の剣を打ちたい、という彼の言葉に応えて、サファイア達は数日前、ウルカーンにやってきたのだった。彼女達の前では陽気だが、時折一人で辛そうに酒を仰いでいた、当代随一の刀工――その彼に、永らく絶っていた鍛冶の腕を再び奮いたいと言われて、三人は単純に喜び、次の旅の目的地をウルカーン北の炎竜山と決めた。
サファイアは鍛冶に詳しくないが、火の精霊力が強いその山は、剣を打つには絶好の天然の炉らしい。何よりデルガドの大親友が住んでいると聞き、「名工二人の詩を書くぞー!」と張り切るレルラに笑いながら、4人は勇んで旅立ったのだ。
だが、辿り着いた家に人の気配は無く。訝って周辺を巡るデルガドとサファイアが見つけたのは――彼の親友の、墓標であった。

―――人間ながら、ドワーフでも並ぶ者がおらぬ程の腕を持っておっての。

道中で、得意気に披露された思い出。…カッツという名の、顔は知らないがサファイアと同郷だという、その男を語るデルガドが見せた、生き生きとした表情。三人が初めて目にしたそれを、物言わぬ墓は一瞬で打ち砕いた。だがそれだけではない。
付近の住民が作ったのであろう、故人が先の噴火に巻き込まれた事を記す、ささやかな石碑。そこに彫られた親友の名の隣には、彼に嫁いだデルガドの愛娘の名も並んでいたのである。
…あまりの事に、全員が無言のままウルカーンへ戻った。その翌日、一旦ドワーフ王国に戻るとの書置きを残して、デルガドは姿を消したのだった。


(どれほど、ショックだっただろう…)
サファイアは沈痛さに目を落とす。親友と娘を失った彼の心中を思い測るのは、自らの非力さを突き付けられる以上に、胸に痛かった。
しかし沈んでばかりもいられない。広い道に出た途端、彼女達はまたも化け物に遭遇した。

―――剣は、人を殺す為の道具なのか? 強き力は、人を傷つけねばならぬのか?

襲い来る敵を斬り伏せるサファイアの耳に、かつて刀工が洩らした言葉が響く。自分の打った刀が人々の血を吸う、その現状に彼は苦しみ、天職を捨てたのだ。
(私は、何の為に剣を振るっている?)
サファイアは自問する。自衛の為。仲間を守る為。――だが、今彼女と対峙する化け物とてそうではないのか。突然縄張りを侵した彼女達を見て、家族を危険から守ろうとしているだけではないのか。今サファイアが殺した化け物、その子ども達はこの先どうやって生きていけばいい?
(彼らにとっては、人間の方が余程化け物に違いない…)
…最後の一匹を倒し、リルビー二人に怪我が無いことを確かめて。サファイアはふうと息を吐いた。自然、肩が落ちる。
――私は何の為に、ここで殺し合っている?
(依頼を、成し遂げる為)
その依頼がまた子どもじみた物である事を思い出し、彼女はつい苦笑した――無邪気な子どもの願いの為、命を屠る、その皮肉さ。

―――あの山に鳳凰が出たって、噂なんだ! 見つけてきて!

昨日、ギルドで出会った子どもに言い募られた。鳳凰山に鳳凰――いかにもと言うか、真に受けづらい頼みを、彼女が承諾した理由。…それは好奇心というより、懇願する彼の様子に、幼い日の弟の姿が重なったからだった。
あの当時、やんちゃ盛りの彼の願いは、親を持たない自分には叶えてやれないものが多すぎて。聞き分けが無いと叱っては泣かせ、その寝顔を見ながら何度泣き明かしただろう。

(チャカ…、ねえ、ちゃんと生きてる?)

村に残る弟は、もう一人前の年になった。自分の心配など必要ない。それでも――炎竜山の墓標が、サファイアの心に焼き付いて離れない。
命とは、あんなにも儚い。
(会いたい――…)


不意に、開けた場所に出た。反射的にサファイアは身構え――敵の気配がない事に気付く。
「…いないねぇ」
些か拍子抜けした調子で、ルルアンタが呟く。うん、と頷きながら辺りを見回し、サファイアは、広場の奥にそびえる崖――その脇の小路に目を留めた。
「あそこから、頂上に行ける筈なんだけど…」
レルラの訝る声。どうしたの、と問う少女に、
「…前に僕が来た時は、この辺にもたくさんモンスターが居たんだ」
そう答えて、彼が視線を巡らす。つられてルルが周囲に目を凝らす傍ら、サファイアは崖の道に意識を戻した。
…あの奥に、何かの気配がする。他の生き物が避けるような、何か。
(鳳凰…? でも…)
伝説の中の霊鳥。神々しい光を放つと聞いた。だが今そこに漂うのは、どちらかと言えば禍々しさに近い。そう考えた瞬間、彼女は自分の迂闊さを呪った。――高貴な霊鳥だと思い込んで、目で確認すれば済むと考えていた。鳥の姿をした化け物だという可能性もあったではないか。
「…サファイア?」
心配気なルルの声に、慌てて表情を和らげる。――しかし、どちらにせよ確かめなければなるまい。鳳凰ならば良し、凶暴な化け物ならば倒して――手に負えない強敵ならば、帰ってギルドの主人に危険性を報告する必要がある。
…そう彼女が告げると、仲間は緊張の面持ちで頷いた。
「うん。…じゃ、私から離れちゃ駄目だよ」
万一の時は、二人を連れて転移魔法で脱出せねばならない。その心づもりをしながら広場を突っ切り、小路に足を踏み入れる――その背中に声が掛かった。

「――どちらへ、行かれるのです?」

聞き慣れない、穏やかと言うより寧ろ無機質な響き。
戸惑いを覚えてサファイアは振り返り――反射的に、二人を庇って前へ出た。その足に、怯えたルルがしがみつく。レルラが素早く背中の弓矢に手を伸ばす。
…恐らく、男だ。黒っぽい鎧に身を包み、なにか尋常でない雰囲気を漂わせている。表情が見えない事が、その異様さに拍車を掛けていた――仮面を着けているのだ。

「この先に潜むのは、ティラの娘…古代に生まれ、殺戮を欲しいままにした、闇の怪物です」
語りながら、仮面の人物は静かに歩み寄る。強張った少女達の数歩手前で止まり。
「…あなた方だけでは、少し、危険ではありませんか?」
言い様、すいと抜刀する。少女の片手剣よりも小振りの、だが強烈な輝き。
思わず臨戦体勢を取るサファイアの前で、男はその小剣を顔前に翳した。瞬間、三人の視界が白熱する。
「!」
眩しさにサファイアは腕で顔を覆った。共鳴するような音が耳に響く。それがすう、と引き――彼女がゆっくり瞼を上げると、目の前の男は今だ剣を翳したままだった。
「無礼をお許し下さい。ただ、私の実力と、私に害意が無いことを確認して頂きたかったのです」
そう言って、彼は静かに武器を収める。圧倒された少女達の反応を確かめるように間を置き、再度言葉を紡いだ。

「蘇りし闇の生物を倒す…、私とあなた方の目的は同じ。協力出来る筈です。…共に怪物を倒しましょう。いかがですか?」

問われた三人は、当惑した顔を見合わせる――不気味だが、見るからに強力な武器を、自在に操る男の申し出。信用出来るか否かはともかく、この先では彼の強さが頼りになる事は間違いない。
短い逡巡の末、顔を上げたサファイアが「お願いします」と低く答えた。
「結構です。参りましょう」
そう言うと、男は三人の脇をすり抜け、山頂へと登って行く。サファイア達は慌ててそれを追った。


 


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