或る農民の娘 2


村外れの森。悪魔物が棲む為、村人は滅多に近寄らない――サファイア達の秘密の場所。

「皆、聞いてくれ! 姉ちゃんと俺とこの人で、ボルボラのナメクジを倒したんだ!」

チャカの声に、集まった男達が「本当か」とざわめく。年齢層は様々だ――サファイア達と歳の近い者から壮年の男性まで。反乱軍とはお世辞にも呼べない人数だが、化け物でなく人間相手なら――そう、領主邸を守る人数程度になら、充分太刀打ちできる。
「これで、例の計画が出来る!」
「きっと、町のみんなも立ち上がってくれるぞ!」
口々に言う皆の視線が、中心の少女に集まる。先程のチャカの様に顔を輝かせて。
「今こそ立ち上がろう、サファイア!」
それに答えようとした時、冷やりとする声が割って入った。

「…反乱など起こせば、村の者全員が皆殺しにされるかもしれぬぞ」

サファイア達に付いてきた、金髪の青年である。
「ロストールは身分差に厳しい。反乱が失敗すれば無論の事、成功しても軍隊に鎮圧されて皆殺しだ。…代官の事はいずれ片が付く。村の事を考えるなら、やめておくことだ」
赤みを帯びた灰色の瞳が、サファイアを睨むように見据えている。

「カタがつくだと!? ウソだ! 貴族が俺らのことなど考えるもんか!」
怒りも露わな声が上がる。ちらとそれを見たレムオンは、不愉快げに顔を背けた。
「それに、グズグズしていたら代官はリベルダムからもっと強い怪物を買ってくる!」
「今立たないと俺達は破滅なんだ!」
「姉ちゃん、立ち上がろうって言ってくれ! そしたら皆立ち上がってくれる!」
チャカの言葉に、再度全員が――金髪の青年も含めて――サファイアに注目する。

―――村の者全員が、皆殺しにされるかもしれぬぞ。
男の言葉を反芻する。他人から改めて言われると、流石に背筋が粟立つ。――だが。

「――そうならない様に、準備をしてきた」

反乱に加わった咎で処刑されても構わないと言う、身寄りも、将来も無い者だけを集めて。責任を全て被る覚悟で。
目を見開くレムオンから、仲間達に目を移し。

「…立ち上がろう。ボルボラを倒そう!」

決然と放たれた言の葉に、男達が歓声を上げる。
「サファイア!」「よく言ってくれた!」「あいつを倒そう! 村を取り戻そう!」
口々に叫びながら彼等が村へと走る中、
「自ら、陰謀の渦に飛びこもうというのか?…これは仕組まれた反乱なのだぞ?」
レムオンだけはそう言い置いて、歩み去る。
「何だよあいつ…いいさ、行こう姉ちゃん! 今日こそボルボラを倒すんだ!!」
自らの剣と同じ、父親の形見の槍と、その持ち主をサファイアは見上げ――。
力強く頷き合うと、二人は皆を追って駆け出した。





かねてからの計画どおり、武器を手にノーブルへなだれ込む。
――私達と一緒に闘う事は無い。ただ、あいつらに味方しないでくれればいい。
そう言っておいたが、見れば他の村人達も、其処彼処のボルボラの手下に殴りかかっている。予想以上の優勢に驚きながら、領主邸に駆け込んだサファイアとチャカは、代官をついに一室に追い詰めた――だが。
そこで姉弟は、想像を遥かに超えた事態に直面したのだ。

剣を突き付けられたボルボラは高笑いした――全ては罠なのだ、と。
遠く、首都で行なわれている政治闘争――ノーブルを領地に持つリューガ家と、国王妃との対立。…その王妃が仕組んだ、罠なのだと。リューガ家当主を失脚に追い込む為に、悪政を敷いて住民の反乱を誘うよう依頼されたのだと。
主のリューガ家を裏切ったボルボラは――ボルボラであった男は、そう言って笑った。


「ぼ…ボルボラ…、お前…いったい…!?」
弟の声に、サファイアは我に返る。
代官の話に愕然とした姉弟の前で、更に信じ難い事が起こった。ボルボラが突然姿を変えたのだ――醜悪に太った人間から、どう見ても人ではない、怪物へと。

「ゲヘヘ…リベルダムでちょっくら改造してもらったのよ。カッコよくなるためになア」
緑色の体液を滴らせながら、シュウウ、と息を吐く相手。屈強な戦士の表皮を剥いで色を染めたような姿に、気味悪さと吐き気しか感じられず、サファイア達は後退る。それに再びボルボラが笑い声を上げた。
「俺のペットを倒して、いい気になってたんだろうが…残念だったな! 死ねやア!」
「――逃げろ! チャカ!」
怒鳴るサファイア――だが怪物の方が早い。一息に彼女の弟の前へ走りこみ、巨大な鋏に変化した両腕を振り上げる。
悲鳴――鮮血――服を赤く染めて崩れ落ちる弟。
咄嗟に斬りかかるサファイア、だがその剣は金属の肌に弾き返され。驚愕した彼女を斬撃が襲う。

(――嘘、だろう…? 政争の為だったって……?)
代官の歓声を聞きながら、少女は激痛に耐え兼ねて膝をつく。――顔も知らぬ貴族達の為だったと言うのか。この男にいたぶられて死んだ人々の命は。飢えて死んだ子ども達の命は。
吐き出した血の色に、風景が蘇る。…この三年で拡がった墓地。村人達の暗い顔。父の…畑――――。

視界が暗くなる中、聞き覚えのある声が響く。怜悧な刃物を思わせる声。
(ああ…あんたか……)
今日知り合った、金髪の青年。――訳知り顔の、確か…レムオンとか言ったか。
(…そう言えば、うちの領主サマも、似たような名前だったな……)
――ボルボラなんか押し付ける奴だから、あんたと違って頭悪ィだろうけど。――王妃とか領地とかの言葉に「レムオン様」との声も交じる。――レムオン“様”?

「サファイア、回復してやる! 立て! このブタ野郎に殺されたくなければな!」

雷鳴の様な声音――不意に身体が軽くなる。
痛みが消えた事に驚く彼女とチャカの間で、青年が双剣を抜き、胸の前で十字に構えた。刹那、空気が膨れ――
(――――!!)
ボルボラに叩き付けられた何かが、発火した。炎の中でのたうつ怪物をサファイアは凝視する――魔法を見るのは初めてだった。ノーブルには、精霊魔法を扱う人間など居ないのだ。
何をしている、との声に慌てて剣を拾う。狂ったように突進してくるボルボラ、熱で表面の金属が溶けたそれの、胸辺りを目指して。柄を両手で握り床を蹴った。

ドスッ、と伝わる嫌な感触。今日彼女が何度も経験したもの。

「ゲヘ…遅せえよ…。もう、俺は……に、…密書を………」
言葉と共に黒っぽい液体を吐き出し、ボルボラが絶命する。
ずっと、ずっと殺そうと思っていた相手の死体を、呆然と見下ろす少女。その耳に届く、チャカの声。

「…あんた…、あんたが…この村の、領主の……?」
大貴族リューガ家の当主、エリエナイ公――レムオン=リューガその人。

「…だから、反乱などよせ、と言ったのだ」
冷ややかな響きと、殺気。はっと振り返るサファイアに、金髪の青年が切っ先を向けた。
「――何する気だ!」
驚愕するチャカを見もせずに、レムオンは告げる。
「…俺がここにいた事になれば、俺は反乱を知っている事になる。そうなれば、この村に鎮圧軍を差し向けねばならぬ」
「…っ、姉ちゃんと俺を殺す気か!?」
「軍が来れば、犠牲は二人では済まなくなる」
冷徹に言い放つ青年。ローズグレイの瞳で、ひたと少女を見据えたまま。――チャカではなく、私に言っているのだ。反乱の首謀者である自分に――。

「…私を殺せば、本当に軍を出さないんだな?」

押し殺した声に、男二人がそれぞれ瞠目する。口を開かれる前に少女は続けた。
「条件がある――殺すのは私一人だ。弟には手を出すな。…この騒ぎのリーダーは私だ、この子じゃない。あんたも見ただろう?」
――自分の言葉で、人々が動いたのを。
姉ちゃん、と慌てるチャカの隣、レムオンはつと眉を寄せた。
「甘いな。口が軽い人間を生かしては、口封じにならん」
「…あんたに黙ってろ、とは命令しなかったからな。私のミスだ」
畑での一件に思い至ったのだろう、成る程、と青年は鼻で笑う。
「ちょっ…待てよ! これはあんた達の権力争いだろ!? そんな下らない事でっ…姉ちゃんを死なすのかよ! 冗談じゃねえよ!」
怒鳴る弟に、サファイアは向き直る。眼差しを和らげ、首を振って。
「いいんだ、チャカ。…覚悟はしてた」
「…ッ…」

――だって、軍隊が来れば、長老達は間違い無く私を差し出すだろうから。

(村を守る為に、私一人の罪だと押し切るに違いない…皆が、何と言おうと)
村の長達の発言は、残りの村人全員の声より絶対だ。領主も容れざるを得まい。――そんな事を言えば、チャカも皆も反対するだろうから、黙っていたけど。覚悟はしていたのだ。

剣を突きつける領主の前に、サファイアは踏み出す。
「姉ちゃん!」
今にも泣きそうな響きに、胸が痛むのを堪えて。自分を殺す男を睨み上げた。
「…その下らぬ事に首を突っ込まぬ様、止めたものを。…愚か者が…」
レムオンが剣を翳すのを確認し、サファイアは瞼を閉じる。弟は見なかった――見れば、死にたくなくなるから。

掌に爪を立てる。瞼の向こうで、白い光が走る――――。




 


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