帰るべき場所


件の金貨を、若い2人に押し付けて、リューガ邸に戻る道すがら。

「…ったく、あんたの所為で、酷い目に遭った」
馬車の外に流れる景色を眺めながら、サファイアがうんざりと首を振る。
レムオンはそれを聞いて、思い切り顔を顰めた。
「言っておくが、俺は生まれてこの方、一度もあの金貨を引いた事が無いのだぞ。旅先からまでその運の無さを発揮するか……つくづく呆れた女だ」
「………、煩いな」
張りの無い返答に、レムオンは違和感を覚え、試しに口を噤んでみる。
果たして、数分も立たぬ内、隣の栗色の頭は舟を漕ぎ始めた。先程の気の抜けた声は、欠伸を噛み殺した故らしい。
「何だ? 寝ていないのか?」
「…あんたに関係ないだろ」
義兄の声に反応して、減らず口を叩くも、またこくりと首が落ちる。
(…冒険者仲間で、夜通し、年越しの祝いでもしたのか?)
見当をつけながら、「品の無い騒ぎは起こすな」と釘を刺すに止め、レムオンもまた外を見遣る。
…予想していたとは言え、屋敷に戻らず外で年を越した義妹に、僅かな苛立ちを感じたのと、それについて小言を言うには疲れ過ぎていた為だ。





邸に着き、正装を解いて、居間に下りたレムオンだが。
「………?」
冒険に出るであろうサファイアが、部屋に向かったまま、中々姿を現さない。
着替えを手伝っている筈のメイドに聞けば、「1人で出来るから」と遠慮されたという。如何にも彼女の言いそうな事だ。
(しかし、あいつが1人で、あんな面倒な服を脱げるのか?)
さりげなく失礼な事を考えながら、更には年頃の妹への気遣いなど皆無に、レムオンは彼女に宛がった部屋へ向かい、扉を2度、3度と叩く。
返事は、無い。
「……、サファイア?」
開けてみれば、案の定と言うか、寝台に倒れ込んだ妹の姿があった。
外套と剣は辛うじて外しているが、短い上着も剣帯も、長靴すら身に着けたまま。
全く、と溜息を吐いて、レムオンは眠る彼女の服を脱がせに掛かった。仮にも仕立て屋に無理を言って作らせた一張羅、皺になっては面倒である。
そうして露わにした肩には、何やら、引き攣れた様な跡が見えた。
冒険中に出来た傷だろうか。
…見れば腕も、足も、古傷や痣だらけ―――恐らく下着で隠れた胴にも、と思い至って、青年の眉間の皺が一層深くなる。

(…いつまで、そんな遊びを続ける気だ?)
―――いい加減に、貴族の女性である事を認めて、行儀作法の習得に精を出せば良いものを。
(そうすれば、こんな怪我をする事も無かろうに)

「…嫁の貰い手が無くなっても、知らんぞ」
心配した己が気恥ずかしくて、つい憎まれ口を叩く。
そんな条件反射が、近頃、妙に歯痒くて仕方ない。

…それにしても、こんなに傍に他人が居るというのに、サファイアはまるで起きる気配を見せない。
(よくこれで冒険などやっていられる)
レムオンは嘆息し、無理に起こす事もあるまいと、その身を布団に包んで。
ふと、別の考えに行き当たる。

―――傍に来ても目覚めない程に、気を許しているのだろうか。

(この女が? まさか)
何とあれば噛み付いてくる娘だ。
口癖の様に「大っ嫌い」と怒鳴って、彼を睨み上げて。
毛を逆立てた獣の様に反応するから。
する癖に。

この安らかな寝顔は、どうだろう。

義妹を見下ろすレムオンの胸に、ふと幼馴染の声が去来する。
―――兄妹というより、まるで友達か……恋人同士みたいですわね。
言われた時は、らしくもない下手な世辞と取り合わなかったが、ティアナの観察眼が侮り難い事を、幼い頃より知る彼である。
本当に、それらしく見えたのかも知れない。
気を許し合った様に。
…それとも、妹には感情をぶつけてしまう彼の心を、見透かされたのか。

(お前は、どうだ?)
寝顔や、今朝の様な微笑みを、少しずつ見せる様になったサファイア。
(お前にとって、この家は、帰るべき場所になりつつあるのか?)
ノーブルという居場所を失くした、彼女にとって。
このリューガの屋敷は。
(…俺の居る、此処は……)

血の繋がりなど一滴も無い娘の、栗色をした髪を、そっと撫でつけ。
辛うじて傷の無いその顔に、眠りの女神パーシィの加護を贈る。

「…あまり、傷を付けるな。本当に嫁き遅れるぞ」
―――この家に留まりたいのなら、話は別だが。

浮かぶ思いに、微かだが、今度こそ笑んで。
レムオンは足音を忍ばせ、眠る妹の部屋を出た。





それから数時間の後。
「―――レムオン!! あんた何て事すんだよ!!」
義妹の事など綺麗に忘れて、執務に没頭していたレムオンの部屋に、サファイアが扉を破壊せんばかりの勢いで飛び込んできた。
煩そうに視線を上げる部屋の主へ、
「人の服っ、勝手に……」
怒鳴りかけて口篭る、その姿は、見慣れた質素な装備。
やはり、懲りもせず冒険に出かけるらしい。
「…お前が眠り呆けているから悪い」
「起こせばいいだろ!?」
「大体、兄が妹の服を着替えさせる事の、何処が不自然だ」
至極当然、と言いたげに見返してくるローズグレイの瞳に、サファイアは一瞬言葉を失い―――かと思うと、睨み返す目に、思い切り力を籠めた。
「ふざけんなっ!! 私は一度だって、あんたを兄と思った事なんか無い!」
「光栄だな。いっそ縁を切ってノーブルに戻るか?」
「―――!!」
思わず、魔法を叩き付けようと手の平を向けるサファイア。
「…ああ、因みにこれは、先の戦で死んだ兵士の保証に関する書類だ。燃やせば何万もの家族が路頭に迷うぞ」
「〜〜〜〜〜! こっの……金輪際こんなトコ戻るか!!」
バァン、と砕けそうな音を立てて扉が閉じられる。
続いて、荒々しい足音と、慌てて追い縋るらしい執事や使用人達の声。

…それらが全て遠ざかっても、レムオンは顔色一つ変えずに紙を繰る。
幸か不幸か、騒がしさには慣れてしまった。
義理の妹の、新鮮味も色気も無い文句にも。

「…兄ではないなら何だ? フン、男と女だとでも言うつもりか?」

………。
………………。
…………………………………。

ガシャ、と部屋の中で派手な音がしたのに、執事は何事かと扉を開けた。
「レムオン様、何か?」
「何でもない。……いや、済まん、布を持ってきてくれ」

己が凄まじく大胆な事をしたのに今頃気付いて、インク壷を引っくり返す程動揺する主の様子に、執事は新年早々、あるかなしかの溜息を吐いたのだった。




 


偶にはこういう話も書きたくなるらしいです。
柄じゃないので、ラストでぶち壊しましたけど(笑)。


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