薄紅 -Xenetes ver.-



「最近、ご無沙汰ね。何処か新しいお店でも見つけたの?」

薄暗い店内、酔客の騒ぎが醸す独特の空気。
…それに似つかわしい女の姿に、ゼネテスは軽く目を眇めた。

「さあて。いつも此処に居るが?」
「嘘ばっかり。私が来る夜は、きっちり席を外してるじゃない」
クスクス、と笑いながら、隣に腰を下ろす女。
「だから、わざわざこんな時間に出て来たのよ」
そりゃ面倒を掛けた、と言いながら、ゼネテスはそちらを向きもしない。
「…聞いてるわよ。うちの子達の誘いも断ってるんですって?」
「声を掛けンのは俺の方だぜ?」
「適当に話した後、放り出すのも、ね。…とうとう決まった相手でも出来たのかしら」
色町一帯を取り仕切る美女、その揶揄より寧ろ、後半の言い回しに男は眉を顰める。

酒場を訪れる客には、労働者の他に、冒険者も多い。
ならば、彼らを相手に商う女性達が豊富な情報を有するのも、自然な流れであった。とりわけ、ギルドでは扱い難い話―――借金の取立て、犯罪者の捕縛・護送など―――に関しては、まず彼女達に聞けと言われる程。
危険な仕事を請け負いがちなゼネテスも、畢竟、その世話になる事が多い。只、最近はそちらの依頼が少ないというだけで、恋人の有無を勘繰られては、堪ったものじゃないのだ。

「…そんな相手がいるなら、是非紹介して貰いたいモンだ」
冒険する身に、都合を合わせてくれて、夜も楽しませてくれる、後腐れの無い女が。
言外に滲ませたものを、だが女は軽く笑い飛ばした。
「とぼけたつもり? 若いコに御執心って噂、聞いてるわよ。それも男と女の二股ですって?」
おいおい、と肩を竦め、ゼネテスは酒杯を干す。

…父親から直々に頼まれた、男の方―――ルーディオンはともかく。
(サファイアに…ってつもりは、無ぇんだけどな…)
ただ、仔犬の様に慕ってくるのが、可愛いから。
会う度に強くなっている様子なのが、楽しいから。
それでつい構うのを―――周囲から見れば、執心と映るのだろう。
―――しかし、彼女が自分を想う程には、自分の彼女への気持ちは形になっていない。
例えば、ルーディや酒場女に感じるような、激しい欲情を覚える訳でもなく。もっと穏やかで、優しい感覚に満たされる事が多い。
…それに名前を付けるのが、或いは気恥ずかしいだけだろうか。

手元の振動で我に返ると、女が杯に酒を注ぐところであった。
「大体、そのテの依頼を受けない時点で、充分怪しいと思わない?」
「…そう思うか?」
さらりと返しながら、ゼネテスは内心舌を巻く。―――確かに、依頼に目を通しながら、ロストールやリベルダムを何日開ける事になるか、無意識に計算する自分が居る。時間の掛かり過ぎる仕事を、つい読み飛ばす自分が居る。
「…上の空で返事されちゃ、決定的ね」
「単なる考え事まで、疑られちゃ敵わねえなぁ」
「本気でそう思うなら、鏡を見て御覧なさい。目尻下がってるわよ」
そいつぁ困った、と顔を撫で回しながら、既に意識は店の外。

冒険で鍛えた五感は、人込みでも、酒気でも鈍る事はまず無い。
…聞き慣れた足音を、聴覚が捉えてしまう。

綻ぶ口元を酒杯で隠しかけて―――ふと悪戯を思い付き。
「―――何なら、これから相手してくれるのかい?」
隣でこちらを窺う女に向き直ると、その腰を引き寄せた。
一瞬驚いた女は、だがすぐに乗ってくる。
「…なァに? 急に機嫌を取ったりして」
「へえ、損ねてたのか?」
嫌な人、と相手がくすくす笑うと同時、店内が僅かにざわめく。危ぶむような視線を、だがゼネテスは敢えて無視した。見なくとも、あの気配が―――大地の色の瞳が、彼を凝視しているのが分かるから。
腕の中の女も気付いて、こちらは入口を見遣り、「あら」と艶を溢す。
「可愛いお嬢ちゃんが困ってるわよ?―――場所、変えた方がいいかしらね」
そう言い、首の後ろに回してきた手を、男はやんわりと掴んだ。
「いや、やっぱやめとくわ。一晩くらいであんたの機嫌を直せる自信はねえからな」
…既に、店の入口に、思い描く姿は無い。
今度は目視で確認した男が、女から身体を離すと同時、他の客達から非難が飛んできた。
「おいおいゼネさん! どーいうつもりだよ」
「泣いちまっても知らねえぞ? 追っ掛けなくていいのか?」
目を瞬かせる女の横で、矛先の男は悠々とグラスを呷り―――タン、と音高くそれを戻す。
「―――賭けねえか?」
は、と注目する皆の方へ、体ごと向き直り。

「『明日、あいつが笑顔で俺の隣へ走ってくる』に、全員の酒一杯分」

…数秒、呆気に取られた店内に、忽ち怒号が吹き荒れる。
「はぁ!? 何言ってんだよ、『来る訳ない』に俺のキープの火酒!」
「俺はロセン直輸入の幻のワインだ!」
酔いも吹き飛ばす勢いの騒ぎを、それこそ唖然として見つめる女は、男がカウンターを離れるのに気付いて、慌ててその腕を引いた。
「ちょっと、何の話? 何処行くのよ?」
振り返ったゼネテスは、腕にかかった女の指を、あっさりと外し。
「勝ちに行くんだよ。…賭けに、な」
じゃあな、と肩越しに手を振って、店の外へ姿を消す。

「…何か企んでる気はしてたけど、ホント、性質悪いな…」
沈黙を守っていた酒場の主人が、ぼそりと呟いた。



独占欲や自己顕示欲は、多かれ少なかれ誰にでもあるもので。
自分が一番だと言われれば、嬉しく感じる反面、更に上を求めてしまうのが人間という生き物である。

(…早い話が、妬かせてみたかったんだよな)

やきもきさせて、あの未発達な感情に、どうしようもなく彼が好きなのだと自覚させて。
…其処から先の事は、実は考えていない。
本当に只の自己満足。

(それとも……「決まった相手」に、なっちまうか?)
ふと浮かんだ未来は、やけに快く。思った以上にあの少女との時間を楽しんでいる自分に気付いて、ゼネテスは頭を掻いた。
…だがそれも、宿屋でしょげているだろう彼女を、宥めた後の話。
どんな甘い言葉を囁いてやろうかと思案しながら、踏み込んだ大通りに、他ならぬサファイアを見つけて立ち止まる。思ったより早い遭遇に驚き、彼女が見つめる店の看板に目を遣って―――そう来たか、と苦笑した。

―――敵に負けようと、嫌な目に遭おうと、こいつは単純に落ち込まない処がいい。意外にしぶとくて、頼もしい。
(そうそう思いどおりにコトが運ぶのも、面白くねえしな)

小間物屋に入ったサファイアの後を追いながら、そう言えば彼女が化粧した顔を見た覚えが無いと思い至る。今までも、興味が無さそうな風情だったし、恐らくイロハも知らないだろう。

―――俺好みの色に染めちまうのも、悪くねえな。

愉しい想像に、喉の奥で笑いながら。
小さな背中の向こう側を、ゼネテスはひょい、と覗き込んだ。




 


…ここまで読んでしまわれましたか(汗)。
はい、お察しのとおり、元々この2つの視点が欲しくて書き始めた物です。
自分でお馬鹿さんに設定しておいて何ですけど、うちのお嬢ちゃん、何処までこの人に騙される気でしょうか。不憫でなりません。

皆さんは、こういう嫌な大人になっちゃいけませんよ?(笑)



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