薄紅


女らしいとか、らしくないとか、そんな事を気にしてきたつもりは無い。
…ただ、最近それを言われる機会が、多くなったというだけで。





大陸情勢への不安に、ロストールが浮き足立った活気を見せる今日この頃。
通りを行き交う人々に紛れて、栗色の髪の冒険者―――サファイアが、失意の底に沈んでいた。



事の発端は、義兄にあった。
リューガ家当主にして、表向き彼女の兄であるエリエナイ公レムオンは、何を思ったかここ最近、王宮に彼女を同伴する様になったのである。
仲良しのティアナ王女と会える事は、素直に嬉しい。だが問題はレムオンの方だ。

(連れて行くクセ、一言も話させない、挙句私をダシにするって、どーゆー事よっ!)
…ぶり返す怒りに、サファイアはつい拳を固める。

ティアナを訪問する度―――つまる所、今までの参内全て―――レムオンは、妹をガサツだの馬鹿正直だのと酷評するのである。それを王女がとりなす事で、会話が進むのだ。悪趣味としか思えない。
それでも、優しいティアナが味方してくれる間は序の口で。
部屋を辞した直後から、頭に血の上った妹と余裕綽々の兄との嫌味合戦が始まる。しかも毎回、城の出口に着くまでに、必ずサファイアの負けが決するのだ。ふてくされた彼女に、冷血の貴公子がどんなトドメを刺すのか、門衛達は近頃楽しみに待っているという。

(「少しは女らしい言葉を覚えろ」だって? ふざけんなっ!!)
―――挙句、「尤も、覚えた処で似合わんだろうがな」と来た。自分で白竜騎士とやらに仕立て上げておいて、よくそんな事を言う。誰が言う事を聞いてやるものか。
(見てろよ、絶っっっ対、100%完璧に、騎士の礼儀作法を習得してやる!)
…“驚くほど女性らしくなってみせる”という方向に行かないあたりが、彼女の彼女たる所以であろう。

貴族街の石畳を蹴りつける様にして、サファイアはスラムへ向かった。憧れの先輩冒険者が居る店へ―――義兄と喧嘩した後は、其処に立ち寄るのが、近頃の習慣だ。どんなに腹立たしい気持ちも、想い人に会うと、嘘の様に霧散してしまうから。
だから、酒場の入口を覗くまでは、いつもどおりだったのだけれど。

目にした光景に、少女の小さな胸は凍り付いた。

薄暗い店内のカウンター席。
グラス片手に、憧れの相手―――ゼネテスが、見知らぬ女性を抱き寄せていた。
相手も、彼にしなだれかかって、楽しげに囁きかけている。
肌も露わなドレス、男の腕に落ちる豊かな髪。色艶が店の入口まで漂ってくるような見目―――その化粧を施した顔が、こちらを向いて、クス、と笑って。
「子どもが来る場所じゃない」と言いたげに、男の胸へ頬を寄せるのを見て。

堪らず、サファイアは踵を返し。
足早にスラムを抜ける頃には、義兄への反発も、自棄に近い意気込みも、すっかり萎えていたのである。



(…綺麗な人…だったなぁ)
夕暮れ時の賑わいを横目に、サファイアはとぼとぼと宿屋へ向かう。
…妖艶で、いかにも男を誘いそうな女性。恐らくはそういう職業の―――男性相手の商売がある事位、サファイアも知っている。いい歳をした男であるゼネテスが、その種の仕事の世話になるだろう事も―――ただ、頭で考えるのと、実際にその場面を見るのとでは、衝撃の度合いが違うのだ。
(あんな風にされた事、ないもんなあ…)
些かはしたない想像を……出来ない事が、尚更少女の気持ちを塞ぐ。からかわれたり、共に剣を振るったりという空想は出来ても、ゼネテスとああいった雰囲気になるとはどうしても思えなくて。女として見られる自分が、思い浮かばなくて。

―――ティアナを見習って、少しは女らしくして見せたらどうだ。

義兄の言葉が、今になって彼女の胸を抉る。
サファイアを親友と慕ってくれる、かの王女。しとやかで、怒った時でさえ言葉遣いは丁寧で―――何より、夢の様に綺麗なお姫様。
清楚な美しさは、件の女性とは対極に感じられるけれど。
(ティアナ様がお相手なら、ゼネテスさん…やっぱり女性扱いするだろうな)
―――少なくとも、強くなる方法よりは、お花や小鳥など、女の子が好みそうな話を選ぶだろう。…レムオンの様に、何処か柔らかい表情で。
(………………)
…女らしくない、という事を、ここまで重く感じたのは初めてだった。

性格のガサツさは、今更変えようがない。
生活の糧である冒険をやめる訳にもいかない。
外見に至っては、手の施しようが無かった。豊かな髪に、裾の長いドレス姿の2人を思い浮かべた矢先、通りがかった店の窓にサファイアの姿が映ったのだ。

農作業にも、冒険にも邪魔で、短く詰めたままの髪。
見た目より動き易さを優先した服。
鎧とブーツ、何よりも腰に帯びた剣。

…件の2人どころか、街を歩く女性達からさえ、かけ離れた出で立ち。
この上、城門を出れば盾や矢筒まで装着するのだから、女と思えという方が無理な話だろう。
流石に落胆して、視線が落ちた先―――その店の陳列物に目が留まる。

手の平に隠れる位の器に詰まった、口紅が並んでいたのだ。

(…そう言えば、ティアナ様、いつも口紅をつけていらっしゃるっけ)
酒場に居た女性も、ティアナよりは濃いが、紅を差していた。

化粧品は、どちらかと言うと奢侈品の類である。貴族や高級市民、或いは、それこそ商売の女性しか求めないものだ。
加えてサファイアは、故郷で原料の蝋やら紅やらを作った苦労が忘れられず、とりわけ口紅は毛嫌いしていた。
…それにも関わらず、ふらふらと店に入ったのは、余程気が滅入っていたのか。
(ティアナ様、どんな色をつけてらしたっけ…?)
何の気無しに取り上げた器を開け、首を傾げる内、その深紅に影が落ちる。

「んー…、お前さんには、ちょっと濃くねえ?」

前振りも無く降ってきた声と、酒の匂い。
ぎょっとしてサファイアが振り仰ぐと、先程酒場に居た男が「よ」と微笑っていた。
「ゼ、ゼネテスさん!?」
「それとも、誰か他人にやる分?」
「あ、いえ―――あ」
咄嗟に応えてしまい、慌てて目を逸らす。それにくつくつと笑いながら、ゼネテスは彼女の隣に並んだ。
「え……あの、ゼネテスさんは、どうして此処に?」
化粧の道具を始め、この店はどう見ても、女性向けの雑貨ばかり。
「ん? ま、ちょっとな」
曖昧な返事に、ちらと目を戻すと、男は次々に口紅の蓋を開けている。酒場に居た女性にあげるのだろうか、と閃いて、サファイアの胸がツキリと痛んだ。

―――お前さんには、濃くねえ?

(似合わない…って、事かな…)
女らしくないという事だろうか。…彼も、やはり女性らしい人が好きだろうか。

一層暗くなるサファイアに、また唐突な声が掛かる。
「シェーヌの森って、知ってるか?」
大陸の南部、エルフが住むと伝えられる森の名に、少女は取り敢えず頷く。
「一番奥にデカい木があるだろ? あれな、春先に花が咲くんだ」
「―――え? そうなんですか?」
知らなかったろ、と言いながら、ゼネテスは物色を続ける。
「小さくて、白っぽい花でな。けど、よーーーく見ると薄いピンクなんだ。―――ああ、こんな色だ」
見せられた器の中身は、透けそうな程に淡い色。
綺麗、と呟いたサファイアに、男は軽く口端を上げ。小指の先でそれを掬い―――器を置いた方の手で、彼女の顎をくいと上げた。
「え、………!?」
唇を、ぬるりとした感触と、それよりしっかりしたものがなぞっていく。
硬直したサファイアに、「一個一個はホントに薄い色でな」と、何事もないように続けるゼネテス。
「でも、満開になった時は、凄ぇ綺麗な色に見えるんだぜ―――ホラ」

両手で頬を挟まれ、向かされた先。
鏡に映る顔は、見慣れたものにも、別人にも見えた。

言葉も出せずにいると、背後に回ったゼネテスが鏡を覗き込む。
「フフ、やっぱりな。元が美人だから、キツイ口紅じゃなくても充分綺麗なんだ」
さらりとした口調でトドメを刺され、少女の頭は真っ白になった。気に入ったか、との問いにも、反射的に頷くだけで。
…気が付けば、ゼネテスは奥で店主に金を払っている。
(………え? うそ、どうして買ってるの?)
自分で払いますから、と止めようとして、思い留まる。―――他の人への贈り物かも知れない。私の為とは言われていないし、そもそも私が貰う理由が無いし。
微妙な落胆を覚えながら、それでも、今し方の出来事と、「似合う」というような事を言われた嬉しさが勝って。
(…買ってみよう、かな…)
おずおずと手を伸ばした、その視界を紙包みに覆われる。
瞬いて、はっと顔を上げると、愉しげな顔が側にあった。
「え……、え?」
忙しなく見比べる少女に、ゼネテスがちち、と指を振る。
「っと、勘違いすんなよ。こりゃプレゼントじゃねえ―――預かってて貰うんだ」
「…預かる?」
「そ。お前さんが持っててくれ。使うのは全然構わねえけど、1個だけ条件な」
ひょい、と屈んで目の高さを合わせてくる。息がかかる程の距離に、またサファイアの頬に熱が集まる。

「…俺んトコに来る時は、絶対これをつけてくるんだ。“俺に”会いに来たんだって、分かるようにな」
…見透かすような黒い瞳も、低く穏やかな声音も、まるで何かの術の様で。
体が痺れて、目を逸らす事さえ、出来ない。

やっとの事で頷いたサファイアに、満足気な笑みを浮かべ、ゼネテスは彼女の唇に小指を宛がう。
「その他は、いつ使ってもいい。―――約束だぜ?」
体を起こし、離した指に視線を落として。ぺろ、と舐めて見せた。
「…………!!」
ぼ、と全身真っ赤になった少女の頭を、ぐしゃぐしゃに混ぜ、「じゃあな」と踵を返す。

…結果として貰ったのと同じである事に、彼女が気付いたのは、男の姿が夕闇に紛れてからだった。
(…お礼、言わなきゃ)
しかし、今日はもう遅い時刻。―――明日、冒険に出る前に会いに行った方が…。

―――俺に会いに来たんだって、分かるようにな。

(……会いに…………ええと、ええと……)





翌朝、宿屋で身支度を整えてから。
鏡の前で、小さな器を手に、サファイアは逡巡する。

…薄暗い店内で感じたよりも、幾分濃く見える口紅。

「サファイアー、もう行くよぉ?」
「あ…! ごめん、ちょっと待っててっ」

僅かに色付いた口元を、仲間に指摘されない事に、半ば安堵しつつ。
街を発つ時間を決め、ギルドで依頼の有無を確認して。
昨日と同じ道を、まるで違う心地で駆けてゆく。

―――今更、女らしくなりたいとか、考える訳じゃないけれど。
―――口紅1つで、あの女の人に追いつけるとは、到底思えないけれど。
(それでも、あんな風に優しくして貰えるのは……嬉しいんだもの)

微熱に似た唇の感覚に、とくん、と胸が鳴る。

辿り着いた店の奥、振り向いた人が、ふっと笑ったので。
サファイアもつられて笑顔を浮かべ、そちらへと駆け寄った。




 


…一応、以前から考えていた話ではあるのですが、恥ずかしくて死にそうです(笑)。
やっぱり私にラブロマンスは無理だ…よそ様にお任せしよう、うん。

こんなんでも、女主が幸せそうなので満足〜♪という方は、どうかこのままお戻り下さい。


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