出会い 2


薄暗い店に入ると、奥から店主らしき人物がいらっしゃい、と声を掛けてきた。
「新顔だね。冒険者かい?」
サファイアはそれに頷く。―――先に仲間達の指摘を受けて、街中では騎士の証となる盾を持ち歩かない事にした。他の荷物も宿に置いて来たので、彼女の装備は剣と、剣帯に下げた小物入れ袋だけだ。
その袋の中のギアを取り出しながら、サファイアは店主に問う。
「少し、具合が悪くなってしまって……お水を頂けませんか?」
「気分が悪い? そりゃあいかん、気付けには酒じゃよ酒!」
脇から飛んできた声に、店内がどっと沸く。
見れば、店内には3,4人の先客が居た。
「いえ、あの、私お酒飲めなくて……」
「何だい、じゃあ特別に茶ぁ入れてやるよ。待ってな」
水ならタダだぜ、とカウンターに銅製のゴブレットが置かれるので、サファイアはそちらに座る。冷たいだけの水が、死に掛けた体には甘露にも感じられて、恐怖と怒りで過敏になった彼女の神経をひどく落ち着かせた。
改めて見回すと、この店は酒場である様だった。カウンターにも、店主の後ろの店にも酒とグラスがずらりと並び、周囲のテーブル席には空き瓶が転がっている。
右手奥に階段を見つけて、二階もあるんですか、と少女は問うた。
「いんや、ベッドを置いてるだけだよ。宿なんてモンでもない、潰れて歩けもしねえ酔っ払いに貸すだけだから、金も取れないさね」
「そうですか…あっちの奥は?」
「テーブル席が一つだ。こんなスラムでも、特別に二人だけで祝いたいって物好きも居てね。…ああ、でも今はやめときな。酔っ払いが高いびきかいてるから」
ベッドで寝れってんだよなあ、と零す主人に、サファイアは微笑む。
どの町に居ても、酒場とは気さくさが漂っていたが、此処は今まで見た中で一番手狭で、一番温かい雰囲気に思われた。
「―――はいよ。エイジティーだ」
サファイアは差し出されたカップを受け取り、一口飲んで、はっと動きを止めた。
「……! これ…これ、もしかしてノーブルのお茶ですか!?」

エイジティーという名の茶は、大陸中で流通しているが、産地によって使われる葉の種類や大きさ、寝かせ方が異なる。
大陸北部の町で飲んだ茶は、葉が小さいのか、かなり濃い色をしていた。
だが今出された茶は、色が薄くて、味も柔らかくて、何より天日によく干された懐かしい匂いがする。
麦の収穫の合間に、彼女や友達が手ずから摘んで作った品だ。

少女の声に、店主も身を乗り出した。
「お! 正解だ、あんたもしかして茶に煩いのかい? よっしゃ、他にも取って置きの奴があるんだよ!」
客が酒飲みばかりなので、若い娘、それも珍しいものを頼んでくるのが嬉しいのだろう。いそいそと棚を漁るので、サファイアの方が慌ててしまう。
「ごめんなさい、私、今日は行く所があるから、次の機会に頂けます?」
ああそうだ、とようやく本来の用事を思い出す。
「ハンナって名前の子、この辺りに住んでませんか?」
「ハンナ? この辺でそんな名前は、小せえ嬢ちゃんしかいねえぞ」
見えるだろ、と客が指差した窓の向こう、小屋の様な小さい家が建っていた。



店を出て、サファイアは件の家へ向かう。
内心、また物陰から魔人が現れるのではないかと冷や冷やしたが、そんな事も無く扉まで辿り着き。ほっとしてノックをしようとした瞬間、それは起こった。

「―――タルテュバだ! タルテュバが来るぞ!」

一人の若者が、低い、だが鋭い声を上げながら走ってゆく。
驚いて振り向くサファイア、その視界で、周囲の窓という窓がバタバタと閉められ、布や板で遮られる。扉に閂を掛ける様な音も響いた。
サファイアが今まさに訪れようとした家も同様だ―――否、下ろされた窓布が開き、驚きの表情が覗いた後、少女の目の前の扉が突然開く。
「何をボーッとしているの!? 早く中へ!」
「へっ!?」
瞬く間に、サファイアは家の中に引き摺り込まれた。訳の判らぬ内にバタン、と扉が閉ざされ、暗闇になる。
「…ふう、タルテュバが来る前に隠れられたの。良かった、良かった」
少女の手を引いた女性とは別の、抑えた声が、傍らから届く。
目を凝らすと、家の中には3人……いや4人居る様だ。奥のテーブルに何かが並んでいる―――家族か、知り合いかでお茶でもしていたのだろう。だが今此処に漂う空気は、午後の寛ぎからは程遠い、警戒と恐怖に満ちている。
「あの……すみません、タルテュバって何ですか? 化け物?」
まさか、城壁に護られた町にまでモンスターが―――サファイアの低い問いに、彼女の手を離して部屋の隅でしゃがみ込んだ女性が頭を振る。
「化け物……いいえ、悪魔です。タルテュバは貴族なんです。それも最低の」
よく見ると、女性は屈んで小さい子どもを抱き締めていた。恐らく、ギルドに依頼文を出したハンナだろう。
「貴族に、良い人なんていません。だけどタルテュバはその中でも―――」
…盾を持ってなくて良かった、とサファイアが苦ると同時、隙間から外を窺っていた男性が人差し指を立てて会話を遮る。
壁の向こうから、何やら、がなり立てる声が響いてきた。

「―――オラぁ! クズども出て来い! 今日はたっぷり遊んでやるからなァ!」

…頭がおかしいんだろうか、というのが、サファイアの正直な感想だった。
声から察するに彼女と同じ年頃だろうが、どこか1,2本切れた様な響きがある。何より言っている内容が常識的でない。
首を傾げて見せると、ハンナを抱く女性は頷いた。
「ああやってスラムに来ては、目に付いた人を殴り倒すんです……」
「……は?」
サファイアは耳を疑ったが、隣の男に肯定される。
「あいつは、ムカツク事があるとここで“人狩り”をするのさ。乱暴なんてもんじゃない。子分を引き連れて殴る蹴る、死ぬまでいたぶられるんだ」
「ちょ…待って下さい、それが人のする事? 大体あいつ貴族なんでしょう? ゴロツキとか地方の馬鹿領主ならともかく、首都に住む貴族が―――」
「あんた、この辺は初めてかの?」
別の方向から、老人が問い掛けてくる。
「…貴族じゃから、そうなんじゃよ。わしら貧乏人は逆らう事も出来ん」
「そうだよ。わたしのお人形も取っていっちゃったんだから」
女性の腕の中から、稚い声が響いた。―――やはり、この子が依頼人の。
「へっ、命を取られねえだけマシだぜ。オレのダチなんか…」
「もう諦めい。スラムに住んどる以上、どうもならんのは解っとるじゃろう」
「ああ…ゼネテスさんが居てくれたら、すぐ追い返してくれるのに……」
…部屋の中の嘆きと、壁の外の喚き声を耳にしながら、サファイアは吐き気を必死に堪えていた。
所詮、政治と財産にしか興味が無い人種と、見下しつつも楽観視していた。
力の無い相手を暴力で虐げる様な―――ボルボラみたいな人間まで居るとは、考えていなかったのだ。
(許せない……何でそんな事が出来るの?)
怒りに震える間にも、横暴貴族はエスカレートしていく。
「何だァ、出てこないつもりか!? クズのくせにオレ様に逆らう気か!?」
殴る相手が見当たらない事で、苛立ちが頂点に達したのだろう。一段階高くなった声で、とんでもない事を怒鳴り散らした。

「クソッ、全員ブッ殺してやる!! モンスターを連れて来い!!」

(―――何ですって!?)
サファイアが振り返る傍ら、住人達の血の気が引く。
「も、モンスター!? 何てこと……!」
神様、と呻いて、女性がハンナを抱き竦める。
「リベルダムがら持ってこさせた、特注の戦闘用モンスターだ! お前らクズどもには一生かかっても手が出ないシロモノよォ!」
リベルダム、と聞いて、サファイアの脳裏にボルボラの改造ナメクジが甦る。畑を台無しにしたあの化け物。―――冗談ではない。あんなものが暴れたら、掘っ立て小屋ばかりのこの一帯は壊滅してしまう。
ガタ、と閂を外す少女に、周囲はぎょっとした。
「な、何を……」
「私が出たら、すぐに閂を閉めて下さい!!」
制止も聞かず、サファイアは外へ飛び出し、扉をバンと閉める。
きっ、と睨んだ先では、思ったとおり、巨大なナメクジが姿を見せた所だった。
その隣で振り返ったのがタルテュバだろう。…一目見て醜い、と思った。ボルボラによく似た醜悪な顔。金髪で、豪華な衣装を着ていれば、美しく見えるとでも思っているのだろうか?
「やっと出てきやがったか、クズめ! ゴミめ!」
喚き散らす男を、だが度外視して、サファイアはナメクジを見据える。
…ボルボラのペットより一回り、いや二回り大きいかも知れない。あの時はレムオンが二太刀浴びせて倒した。サファイア達では歯が立たなかったが―――しかし彼女も、村を出る前よりは多少強くなった自覚がある。
それに、とサファイアは両手を翳した。―――今の自分には魔法がある。鬼火程度でも、面食らわせる位は出来るだろう。その隙に何度も斬りつければ。
(絶対、倒す……許してなんかやるもんか!!)
下腹部に力を込めて、声の限り叫ぶ。

「炎よ!!」

叫んだとは言え、呪文は先程と同じ単純なものだ。
頭に浮かぶイメージも、同様にシンプルだった。

違ったのは感情だ。
空気を揺るがす程の“怒り”。

―――精霊はちゃんと見てて、寄ってくるんだよ。

その瞬間、周囲の空気が沈み込んだかと思った。
(!?)
掌の中に、目に見えない、激しい渦を感じる。
少女が瞠目する前で、それは輝く球体と化し―――ナメクジに襲い掛かった。
ゴオッ、と油でも撒いたかの様に広がる炎。全身を燃やされた化け物はのたうち、だが暴れる間もなくジュウウ、と音を立てて蒸発してしまった。
飛び散った体液さえ炎に食われ―――後には異臭と、道の焦げ跡のみ。

…文字どおり、瞬きする間の出来事であった。

「…あ……わ、わわ………」
愕然とするタルテュバの隣で、手下達がへた、と腰を抜かす。
一般の人間が、魔法を目にする機会は滅多に無い。しかもその魔法で、建物より巨大な化け物が、瞬時に消えてしまったのだ。
だが最も驚いたのは、魔法を放った当のサファイアだ。
(……うそ…………)
熱で所々赤くなった手を、呆然と見下ろす。―――なんて破壊力。村の皆をずっと苦しめてきたモンスターを……否、あれより巨大なものを、たった一瞬で殺してしまった。それに呼び覚まされたのは、だが感動ではなく。
(…そんなのって……そんなのって、無いよ……!)
―――知らなかったのだ。こんな力が存在するだなんて。こんなに簡単に操れるものだなんて。知っていたら倒せたのに。
(もっと早く、あいつらを倒せたのに……!!)
ボルボラや彼のモンスターに苦しめられ、殺された、故郷の人々の顔が甦る。
ぎりと唇を噛み、水ぶくれの出来た掌に爪を立てた瞬間。

パチパチ、と手を叩く音が響いた。

「カーッコイイねえ。よ、正義の味方さん?」
…次いで、口笛と、場違いな程のんびりした口調。

魔物と過去に意識を取られて、気付かなかった。
サファイアのすぐ後ろに、何時の間にか、見知らぬ男が立っていたのだ。


 



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