出会い 1


ギルドの主人の科白を、初め、サファイアは聞き間違いだと思った。

「…ごめんなさい、何ですか?」
「だから、魔法だよ。そこそこ使えるんだろ?」
「使えませんよ。そんなに簡単に使えるものじゃないでしょう?」
「ああ、そうだね―――って、ええ!?」
カウンターから思い切り身を乗り出してくる主人。
面食らうサファイアを頭から爪先まで眺め―――ふと天井を見上げて「そういや説明してなかったっけ」と首を捻ると、店台に潜ってごそごそ探り始めた。
「簡単に使えるんだよ。精霊力と素質さえあればね」
「セイレイリョク?」
「簡単に言やあ、精霊を味方につける力さ。強い魔物を倒したり、従えたりすりゃ、精霊はちゃんと見てて寄ってくる。素質は…まあ、強い探求心と慈しむ信念、それから冷静さがありゃ充分だ」
「私、猪突ってよく言われるんですけど」
「訓練しな」
ほい、と紙切れを手渡してくる。
「これは?」
「一番低位の呪文を書いた紙だ。別にそのとおりに唱える必要も無いが、どんな力を使えるかっていう参考にはなるだろ。―――大丈夫、あんたなら使えるよ。オレが保証する」

「…そうは言われても、ねえ……」
渡された紙と己の手を見比べ、少女は嘆息する。
ロストールに到着し、配達物を届けたギルドで「そろそろ退治や探索も」と仕事を眺めた折、主人に「魔法は得意かい」と聞かれてこの顛末だ。
―――モンスターには、魔法しか効かん奴もいる。覚えといて損は無いよ。
そう言ったきり、忙しい主人は他の依頼人と話し始め、サファイアも次々に客が来るギルドから押し出されてしまった。
取り敢えず宿の裏手に来たものの、何をすれば良いのか見当もつかない。
(デルガドや、レルラは使えるのかな?)
火、水、土、風の4属性が書かれた紙を見つめながら、首を捻る。―――魔術など、エンシャントにある学校でしか習えないものと思っていた。実際、今まで訪れた町でも魔術士はそれらしい格好をしていたし、故郷のノーブルには魔法を使える人が住んでいなかった。使えたのは旅の魔術士と、領主のレムオンだけ―――。
「って、何でそこであいつが出てくんのよ!!」
罪無き紙切れを地面に叩き付けそうになって、慌てて思い留まる。
たった今、冷静さが必要と言われたばかりだ。彼が絡むとどうも頭に血が上っていけない。…そう、そもそも猪突と言われ始めたのも彼が現れてからではないか。いや寧ろ、そんな言い方をするのは彼だけだ。
(……やっぱり、あいつが諸悪の根源じゃないか……)
戦慄く手をどうにかこうにか抑え込み、紙切れをポケットに突っ込んで。
サファイアは短く息を吸うと、両手を顔の前に掲げた。
球を持つ様に形取り、意識を集中させようとする。
(火……炎……熱…………)
―――精霊は、ちゃんと見てる。
(精霊を味方につける……精霊の力を、借りる)

「―――炎よ」
囁きが滑り出た瞬間。
ポウ、と目の前に小さな火が点った。

「え?―――うわあ!?」
呆気に取られること数秒、ようやく認識した事態に悲鳴を上げて、サファイアは後ろに転がってしまう。
尻餅を付いた弾みに、火はふっと掻き消えた。
「え……あ、うそ……」
―――出来た。酷く簡単に。火傷も何もなく。
サファイアはおずおずと両の手を見る。何の変哲も無い、小さな手。
(杖とかの道具が無くても、ちゃんと使えるんだ……)
吹けば消えてしまいそうな、頼り無い灯だったけれど。
まるで自分の様だ、と苦笑して、サファイアは立ち上がる。―――それでも、洞窟の探検には役立つかも知れないし、訓練すればより大きな力を操れるのだろう。
力を貸してくれただろう目に見えぬ精霊に「ありがとう」と呟く少女。
…その表情が、すっと改まる。

彼女の脳裏には、先程ギルドで見た依頼文の一つが浮かんでいた。
貴族に人形を取り上げられた、取り返して欲しい―――そう訴える張り紙。
文章の拙さと、礼金の低さから察するに、幼い子どもだろう。
(そんな小さい子にまで、嫌がらせする訳だ? あんた達貴族は)
貴族の筆頭たる、金髪を束ねた男―――己の義兄を思い起こし、サファイアはぐ、と剣の柄を握る。
依頼主への同情と、義憤とで、居ても立っても居られなかった。
ギルドの主人は「貴族にケンカを売るようなモンだ」と困っていたが、義兄と、その政敵である王妃に比べれば、残りの貴族など取るに足るまい。
(…そうだ、どうせ1000ギアも持っていくし、ついでに嫌味も言ってやろう)
そもそもロストールに来た目的が、レムオンに前回渡された500ギアの倍価を叩き返す為なのだ。まさかこんなに早く返るとは思っていないだろう。
(見てなさい。平民を甘く見てたら、痛い目に遭うんだから)
サファイアは毅然と顔を上げ、強い足取りで踏み出した。





依頼主がスラムに住んでいるというので、詳しい話を聞くべくサファイアはスラムに向かったが、途中で何度か道を尋ねねばならなかった。
迷った訳ではなく、“貧民街”が想像と異なっていた為だ。
確かに生活水準は低そうだが、ノーブルと大差無く感じられる。
(都会の“貧民”なんて、そんなものかしらね…)
エンシャントのスラムはもっと酷かったが、と呟きながら、周囲を観察していた所為だろう。
気配に気付くのが、遅れた。
す、と物陰から現れた人物に、サファイアははっと身構え―――硬直した。

「あら……可愛いコね。くすっ……」

彼女の前に立ちはだかったのは、飛び切りの美女だった。
但し、見るからに危ない格好の。
グラマラスな肢体に、露出度が高いとかそんな問題ですらない服を纏い、首や手足に棘付きの輪を嵌めている。
(な、何!? 何なのこの人!?)
田舎育ちのサファイアが、半分涙目で後退ったとしても、誰が責められよう。
客引きか?―――否、幾ら商売でもこんな恥ずかしい姿は出来まい。
犯罪者への刑罰?―――それにしては余裕の表情だ。
だが服装以前に、如何にも危険そうな黒いオーラをひしひしと感じる。
「ちょっと聞きたい事があるの。しゃべるゴブリンを知らない?」
「存じませんさようならっ!!」
関わり合いになる前に逃げるべし、と強行突破しようとしたサファイア。
しかし、遅れて認識した相手の言葉に、覚えのあるフレーズを聞き咎め、
「え? 喋るゴブリン?―――」
振り返るのと、美女が手を翳すのが同時だった。
白い手の平とサファイアの顔の間で、空気が散る。
「―――!? うぁ……っ……!」
ドクン、と心臓を握り潰される様な感覚に襲われ、サファイアは胸を押さえた。
足に力が入らず、膝を付いて前のめりに倒れ込む。
「……っ、は……」
息が、出来ない。
咽喉が痺れて―――否、何時の間にか全身が金縛りにあった様で、ぎりぎりと締め付けられて指一本動かす事が出来なかった。
(何? 何、これ……これも魔法なの?)
「ウフフ…やっぱり知ってるのね。ねえ、ちょっと教えてくれない?」
美女が屈み込んで、動けないサファイアの頬をちょん、と突付く。
「私ね、友達の宝物を探してるの。禁断の聖杯っていってね…でもそれをゴブリンが持って逃げちゃったの。だから、あなたにその行方を教えて欲しいの」
婀娜っぽい言い様に、サファイアの脳裏で或る記憶が閃いた。

猫屋敷で聞いた情報。
禁断の聖杯とゴブリンを追う、12の魔人の一人。
村を丸一つ焼いた、残忍な美女―――アーギルシャイア。

「しゃべれない? 大丈夫よ、あなたの記憶から直接聞かせてもらうから…」
頬に触れた指を、つつ、と少女のこめかみに辿らせ、アーギルシャイアは何事かを唱えた。
瞬間、その指がずぶりと頭蓋に潜り込む錯覚が起こる
(―――!! い、や……!)
気持ち悪い。吐きそうだ。
「怖い? ウフフフ……堪らないわ。こういう時の人間の恐怖ってビンビン来るのよね。ねえ、あなた可愛いし、勿体無いからうんと嬲り殺してあげる。嬉しい?」
間近の美女の笑い声が、サファイアの耳に遠い。
酸素を止められて、肺が限界に来ていた。
(…助けて……誰か、助け………)
苦しさに、固く瞑ってさえ灼ける様だった視界が、急速に暗くなる。
…だがその時、ふ、とこめかみの指が抜けた。
「…誰か来る…? もう、無粋ねこんな時に」
魔人が立ち上がる気配がし―――しかしすぐにぱさ、と長い髪が掛かる。
「まあいいわ。今度またゆっくり会いましょうね……サファイア」
それを最後に、全身を縛っていた感覚が消え。サファイアは横倒しになると同時、思い切り咳き込んだ。
目を開けると、地面に伝う程ひどく脂汗をかいている。
そこに影が落ち、アーギルシャイアの言った「誰か」だと気付いて、少女はぼんやりと視線を上げた。

「大丈夫かい? こんなトコで倒れちゃって…。ほら、立てるかい?」
しかし意外にも、其処に居たのはごく普通の、市井の女だった。

(………意外?)
サファイアは瞬き―――がば、と勢い良く跳ね起きる。
「はいっ! 大丈夫です!」
「そうかい? 真っ青だけどねえ……ああ、そこの店で水でも飲んでおゆきよ」
「そう致します! ご親切にありがとうございますっ!」
きっちり90度で一礼すると、サファイアは示された店へ足を向けた。
…背筋も伸び、しっかりした足取りだが、右手と右足が一緒に出ている。

―――信じられない。信じられない。
確かに一度、似た様な場面で助けて貰った。
だがしかし。

…そう、人影に気付いた時、サファイアは全く別の人物だと思ったのだ。
スラムとは正反対の地区に住む、やたら綺麗で、高慢で、倣岸不遜な……。

(何であんな奴の助けを期待しなきゃなんないのよ!!)

バシィ、と力の限り拳を手の平に叩き付ける少女を見て、見送っていた女性は「ああ、元気はありそうだねえ」と一安心していた。


 


本人出てこないのに、ひたすらレムオンの回になっちゃったなあ;;


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