ルルの独り言―後編―


「…済みません…」
「謝ンなって。お前さんの所為じゃねぇだろ」

泣きそうな呟きに、ゼネテスが苦笑を洩らす。
騒ぎの収束を見届けた野次馬達が引き上げ、閑散とした酒場では、店主の他にルルとサファイアとナッジ、それに何故かゼネテスも加わった5人が、掃除を進めていた。
「そうだよ、あんたが追っ払ってくれたお陰で、随分被害が少なくて済んだんだから」
ありがとよ、と笑う店の主の声に、サファイアは俯いてグラスの破片を掃く。その横でナッジがやはり萎れた声を出した。
「ごめんなさい。僕が喧嘩を始めたりしたから…」
「いや、あれには私も迷惑掛けられたし」
「? サファイア、やっぱりさっきの人に会った事あるの?」
塵取り役のルルアンタは、保護者を見上げる。複雑そうな笑みが返ってきた。
「少し前にね。ロストールで…ほら、宿屋の近くにも酒場、あるでしょ? あそこで女の子に絡んでたの」
「…ひょっとして、看板娘を連れ去る酔っ払いをボコボコにしたって、アレかい?」
壊れた椅子に応急処置を施すゼネテスが振り返った。ご存知だったんですか、と恥ずかしそうに呟くサファイアを見て、口端を歪める。

「はっはぁ…お前さんだったのか。フェルムが惚れた王子様ってのは」

…肩をコケさせたサファイアを、ルルは気の毒な思いで見上げた。
幸か不幸かこの保護者は、やたらと女性に人気がある。外見は正真正銘の少女だし、現在好意を抱く対象は男性なのだが――ただ、有難い事にその対象者は、ルルの保護者を(一応)女性扱いする、唯一の男だった。
「心がけは認めるが、あーゆう変な男に関わんなよ? 妙な勘違いされたらどうする」
少女に歩み寄り、優しい笑顔を向けるゼネテス。戸惑い気味に俯く彼女の、栗色の頭をくしゃくしゃと撫で回す。
その光景につい目を細めるルルアンタの耳に、重い溜息が届いた。

「――しかし、どうしようかね。しばらく商売は出来ないな…」

店主の視線を追った4人は、一斉に苦い顔になる。…実はサファイアが止めに入る直前、ガルドランが振り回した槍が、カウンター横の棚に並ぶ酒を根こそぎ砕き落としていたのだ。
空の木棚から、ルルは手元の塵取りに目を戻す。瓶の破片を幾つか見ただけでも、相当高価な物であった事が伺える。
「済みません、本っ当に…」
サファイアが額を押さえて呻く。ナッジも肩を落とした。
厳密に言えば、この二人の責任でもないのだが、あのガルドランが弁償に戻るとは考えにくい。騒ぎに関わった彼女達が肩代わりするしかないだろうが――はっきり言って、新米冒険者に支払える額で済むとは、到底思えなかった。
項垂れたルルの鼓膜を、低い男の声が打つ。

「30本ちょいか…なあ、10万ギアあれば足りるか?」

そんなに、と顔を上げて、ルルアンタは目を剥いた。ゼネテスが片手ほどの大きさの袋をドス、とカウンターに置いたのである。

「――――!」
「お、おい! いいのかいゼネさん?」
隣で絶句する少女と、酒場の主人を見比べて、ゼネテスは肩を竦める。
「ここで酒が飲めねぇのは困るからな。…気にすんな、どうせ酒に消えちまう泡銭だ」
気楽な調子で片目をつぶる男に、サファイアがそんな、と掠れた声を上げた。その向こうで主人が、いそいそと奥の部屋へ消える――仕入れの注文をする為だろう。
焦りと困惑を目一杯に浮かべた顔で、店主の背中を見遣った少女は、目の前の男に勢いよく頭を下げた。
「済みません! ありがとうございます! 絶っ対返しますから!!」
「気持ちはありがてぇんだが…10万って結構キツくねえ?」
さらりと返されて、サファイアが言葉に詰まる。俺はいくらでも稼げるからいいけど、と頭を掻く博打好きの凄腕冒険者は、不意ににやりと笑って相手に顔を寄せた。
「ま、返すなっつっても聞かねーだろからな…半額でいい。残り半分は、こっちに上乗せしてくれ。それでどうだ?」
親指で自分の胸を示すゼネテス。少女の表情が、一層困り果てたものになる。
「…何年かかるでしょうか…」
「その分、ちょくちょく通ってくれりゃいいだろ?」
詳しい内容は判らないが、サファイアの顔色から想像するに、デートの約束なのだろう――そうルルアンタは納得して、ふと脇に佇むコーンスの少年に目を留めた。


「…サファイアは、あの人が好きなんだね」
隣を歩くナッジの言葉に、ルルは顔を上げる。
酒場の手伝いを終え、二人は冒険者の宿に向かう途中だった。件の少女は、別の店で飲み直すというゼネテスに同伴して、この場には居ない。
「うん、そだね。サファイアったらゼネテスの事、すーっごく尊敬してるから。…ナッジは、サファイア好きぃ?」
え、と幾分赤い顔でうろたえる相手を見て、リルビーの少女はにこぉ、と笑う。
「ルルもねー、サファイア好きなの。サファイアもルルが好きだってぇ」
「あ…ああ、そうなんだ」
何気なくフォローしつつ、保護者のファンが増えた事を単純に喜んで――ふとルルは、サファイアに男性が近寄らない理由を閃く。
(憧れの相手がゼネテスじゃあ、敵わないって思っちゃうよね…)
…屈強な彼を、初対面の人間も気付く程に慕っていては、引かれて当然だろう。
実際、サファイアの心酔ぶりには目を見張らされる。ルルアンタはロストール貴族に詳しくないが、平民でも近付かない様なスラムの、うらぶれた酒場に、嬉々として通う人種でない事だけは分かる。
(ルーディだって、滅多に行かないのにな)
…今一人のルルの保護者、ルーディオン。彼はまた極端で、旅立ち当初から面倒を見てくれる男の元に、意地でも足を向けようとしない(その割によく一緒に居るが)。二人の態度は温度差があり過ぎて、ルルアンタは戸惑ってしまう。――だから、どちらにも言い出し難くて。
(…こんな事、二人とも思わないのかな……)
実を言うと、ルルは時々ゼネテスが怖くなる。ごく稀に、ひやりとするものを感じる。とりわけルーディを見る眼などに。
サファイアと居る時は、そうでもない。だが逆に、先程彼女に見せた様な微笑みは、ルーディには与えられない。青髪の少年には、もっと、辛辣と言うか――正直だ。
(ゼネテス…何か隠してる?)
二人の保護者に、互いの存在を伏せるよう、ルルアンタに指示したのは彼だ。考えてみれば何故、その必要があるのだろう?
――何かを知っているのか。フリントと知り合いだったように。例えば――サファイアが貴族である事とか――…

「――ルルアンタ?」

少年の声に我に返る。心配そうなナッジの顔が、すぐ目の前にあった。
「あ、えっと…ごめんね、何でもないの」
慌てて笑顔を見せながら、ルルは息を吐き出す。――考え過ぎだ。ゼネテスはいい人だもん。ルーディにもサファイアにも親切にしてくれる。
「お帰り、ルル。…あれ、もしかして新しい仲間?」
折り良く宿から出てきたレルラが、コーンスの少年を見て弾んだ声を上げる。
早速紹介しながら、夕食の時間が近い事に気付いて、ルルアンタはその準備に頭を巡らせ始めた。


帝都に、緩やかに夕闇が落ちる。リルビーの少女の不安を紛らわす様に。
危うげな彼等の関係を、今はまだ、探る事は無いとでも言うように。


 


やってくれてませんかね、ガルドラン。世界の何処かでこれ位。
途中のデート云々は勿論ルルの誤解で、実は現時点の彼らは借金関係です。いずれ詳しく。
かなり初期なので、サファイアの手持ちはせいぜい3000ギア程度かなと。



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