ルルの独り言―前編―


(あ、サファイアめーっけ♪)

エンシャントの繁華街の一角、冒険者施設が立ち並ぶ辺り。そこに佇む少女を見て、ルルアンタはぱたぱたと走り出す。
昼過ぎに、ルルアンタ達はこのディンガル帝都に到着した。宿の予約やギルドへの届け物をサファイアに任せて、ルルとレルラ=ロントンは自由行動を取っていた。
…しかし、各地の酒場で引っ張りだこに遭う高名な吟遊詩人はともかく、ルルは一人で街を散歩していてもつまらない。だから、用事を済ませたサファイアと上手く会えた時は、一緒に行動するのが常なのだ――この日も、二人でお茶を飲もうと思って、少女の元へ急ぐルルアンタは、だがふと足を止めた。
「…………?」
ルルは小首を傾げる――視力に優れたリルビー族の彼女には、その距離でもサファイアが珍しい顔なのが判った。
戦闘時以外は微笑みを絶やさないルルの保護者が、何と言うか、訝しさと不愉快さが入り混じった様な――ちょうどもう一人の保護者が頻繁に見せる様な表情をしている。視線の先の建物が酒場だと、ルルが気付くと同時、サファイアはそこに駆け込んだ。
何か嫌な予感がして、ルルアンタもそちらへ向かう。だが数歩も進まぬ内に、店の中から数名の客が転がり出てきて、叫んだ。

「――喧嘩だ! 喧嘩だ!!」

――やっぱりぃ、と呟きながら、ルルアンタはその酒場へ急ぐ。
今は別行動をしている青髪の保護者――ルーディオンもそうだが、サファイアも騒動に出くわす事が多い。この前も冒険者に絡まれていたエルフを助けて、逆に悪態を吐かれ、挙句なぜか一緒に旅をするよう迫られて彼女が困っていたのを、ルルはちゃんと見ていた。
(一人で危ない事しちゃダメって、いつも言ってるのにぃ!…そりゃサファイアは強いし、困ってる人を放っとけないのはわかるけど、ルーディと違って女の子なのに…)
頬を膨らせながらルルアンタが辿り着いた店では、黒山の人だかりが出来ていた。
保護者の少女は見当たらない――彼女の性格からして、野次馬という事はあるまい。恐らくこの輪の中心にいる。
ダミ声やら周囲の怒号やらに不安が募って、何とか中を覗こうと、ぴょんぴょん飛び跳ねるルルアンタ。何度目かに跳んだ時、ふわりとそのまま宙に浮いて、心臓が止まりそうになった。

「よお、ルルー。丁度いいトコに来たな」

聞き覚えのある、笑い含みの声。驚く彼女の視界に、漆黒の頭が飛び込んでくる。
「――ゼネテスぅ!?」
周囲より頭一つ以上高い彼に肩車され、一瞬竦んだルルは目の前の髪にしがみつく。だがお陰で求める光景を見出す事が出来た。
店の中央で、槍を振り翳して何事か叫んでいる男。それに対峙する彼女の保護者。ルルが見つけた時よりも更に苦い顔で、腕組みをしている。
「…サファイア!」
「なんか最初は、あそこの坊やが奴とケンカしてたんだけどな」
黒髪の男の囁きに、ルルも目を向けた。…成程、サファイアの足元に誰かがうずくまっている。
「訳のわからん言い争いっぽかったんだが、雰囲気がヤバくなってな。止めようと思ってたらあいつに先越されちまったんだ」
ひそひそと説明するゼネテスの向こうで、槍男のダミ声は続いている。

「――人として許せん! 正義の制裁を加えてやろう!」
「――っさいな!」

それまで黙りこくっていた少女が、ついに怒鳴り返す。
「どこが正義の技だ、目潰しなんて卑怯な事しやがって! 大体めくるめく恋愛だと?思いっ切し振られてたろが! どこに目ぇつけてんだアンタ!」

「…あいつら、前に会った事あんの?」
ゼネテスの質問に、ルルアンタも首を捻る。

「ぬう、邪魔をした上未来の勇者様に向かって暴言を吐くとは! だがこの誇り高き俺様を怒らせよう等という、小賢しい計略に乗ると思うてか! 魔王の刺客め!!」
「だからその魔王ってのは何処にいんだよ! 勝手に人を刺客にすんな!」
「この期に及んで、まだシラを切るのか! その少年といい貴様といい、正義の怒り3倍増だ!」
「しっかり怒ってんじゃねーかっ!」

噛み合っていない上、微妙に低レベルな口論を、周囲は唖然として見守るばかり――不意に少女が腕組みを解いた。槍を頭上で振り回す男に、右手の平を突きつける。

「こないだ頭冷やせるよーに水ぶっかけたのが間違いだったな! いっぺん記憶の彼方まで吹っ飛んで来い!!」

後半が呪文代わりだった。サファイアの栗色の瞳が光ると同時、目に見えない力が槍男に収束し――次の瞬間、彼の足元から刃の竜巻が立ち上る!
「のわっ!?」
宙に浮いた男の体を、したたか床に叩き付けて風は散った。
野次馬達がどよめく――奇妙かつあからさまに危険な男を、小柄な少女が一撃でのしたのだ。あの子すげえな、誰だ、と周りが騒ぐ中、ルルアンタは、保護者が構えを解かない事を訝しく思った――その時。

「…ば、バカな…この俺様が倒れるのか? いや、俺様はすぐに立ち上がる!」

槍男がぴょこん、と跳ね起きた。ゴキブリ並みの生命力に、げっ、とあちこちで呻き声が上がり――だがルル達を含めた数名が息を呑む。予め見越していたのか、サファイアが更に強力な魔術構成を編み上げていたのだ。
…それに気付いてか(気付いていないかも知れない)、男は拾った槍を構えずに、床に突き立てた。

「未来の勇者に逆境は付きもの! 俺は修行して貴様を倒す!」
びし、とルルの保護者に指を突き付ける。露骨に嫌そうな顔をする少女。
「さらばだ、我が永遠のライバルよ! 小さな勝利に酔い痴れるがいい!」

負け惜しみにしては自信たっぷりな高笑いを残して、男は酒場から走り去った。ギャラリーの半数以上がその後を追う。
途端に静かになった店内で、サファイアがようやく構成を解いた。
「…勝手にライバルにすんな…」
疲れた顔でそう呻くと、ルル達には気付かぬまま傍らに膝を付いた。顔を押さえた少年を覗き込み、
「大丈夫ですか?」
先程とはうって変わって優しい声を出す。相手の反応を見、簡単な治癒魔法を唱える。虹色の淡い光が少年を包む――それが消えた後、彼はゆっくりと顔を上げ瞬いた。
「見えますか?」
手を翳すサファイアの仕草に、彼が頷く。良かった、と笑って少女は立ち上がった。
「ああいう変なのには、関わらない方がいいですよ。それじゃ」
「…あ、あの!」
つられる様に体を起こす少年を見て、ルルアンタは少し驚く。意外に背が高い――彼女を肩車する男と同じ位。だがそれも当然かもしれない。少年の額には角があった。

「ね…、まずはお礼を言わせてよ。ありがとう」
少年を見上げて、サファイアが静かに首を振る。
「ええと…僕はナッジ。見てのとおりコーンスなんだ。君は?」
…今初めて気付いたらしい事を、ルルは保護者の表情で察した。
どうもサファイアには、相手の外見や種族や身分に頓着しない傾向がある。大貴族の娘の割に、偏見を持っていないらしい。
今目の前に立つコーンス族――人間種族より体が大きく、額の角に強大な魔力を秘めた少数種族――位は珍しがってもよさそうだが…やはり大した反応も見せず、サファイアです、と彼女は答えた。
「ありがとう、サファイア。君がいなければ、ガルドランにやられていた…」
何か事情があるのか、ふと視線を落とす少年。離れた場所で目を見交わす二人組の耳に、力が欲しい、との呟きが届く。

「…ねえサファイア、君は冒険者だよね? 唐突だけど僕を仲間にしてくれない?」

…本当に唐突な申し出に、少女が栗色の目を瞬かせた。
「僕、あのガルドランを倒したいんだ。だけどまだ力が足りない。…ねえお願いだよ、サファイア。僕は強くなりたい。僕を一緒に連れて行って欲しいんだ」
真摯に言い募るナッジを見上げ、サファイアは少し悩むようにして――戸口を見遣る。恐らくあの傍迷惑男の事を考えたのだろう、そうルルが推し量っていると、サファイアが視線を戻した。
「…うん、わかった。私で力になれるなら」
ようやくルルアンタの知っている笑顔が出た。それを向けられたナッジの顔が輝く。頑張るよ、と宣言する彼を見て、ゼネテスが微かに笑った。
「感動的な場面じゃねえ?」
そう言って、リルビーの幼女を床に下ろす。視界の端の動きにサファイアが振り返る。

「――ルル!…っ、ゼネテスさん!」

驚きも露わな相手に、ルルアンタは駆け寄った。かっこよかったぜ、との声が追うように響く。
頬を染めながらルルを抱き上げた保護者は、だが、かなり気まずげな表情をした。
「…何て都合の悪いトコに」
「え?」
「片付け……」


――ガルドランとやらが暴れた所為で、店の中は燦々たる状況だったのだ。


 


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