私立ロストール学園高等部 1
 



「見たよぉサファイア!! あのゼネテス先輩と一緒に登校してくるなんて、すっごーーーい!!

教室の扉を開けた途端、黄色い歓声に出迎えられて、サファイアは早くも回れ右をしそうになった。
その背中に飛びつくのが、クラスメイトのルルアンタである。
「ルルもびっくりぃ! いつの間に仲良しになったのぉ?」
「…いつの間にも何も、今朝一緒の列車に乗っただけで、それ以前にゼネテス先輩って誰っていうか早くどいて……
したたかに床に打ち付けた額を擦りながら、倒れた身を起こし、改めて自分より二回り小さな親友を抱きかかえるサファイアに、もう一人の親友エステルがずい、と擦り寄った。
「サファイアってば優等生の癖に、あんな危険なタイプが好みなんだ?」
「いや、だから好みとかその前に、
真剣な表情で問う少女の様子に、ルルアンタとエステルは勿論、冷やかそうと待ち構えていたヴァンとナッジも、顔を見合わせた。
「…マジで知らねえの?」
「そう言えば、サファイアは高等部から編入してきたんだものね。すっかり溶け込んでるから忘れてたよ
「そ、そう……」
まだ2週間目だが。結構イジメも受けているのだが。
しかし、それを気にするサファイアではないし、今はそんな事はどうでもいい

「ゼネテス先輩はねえ、この学園の番長さんなんだよ!」
「ごめん、いきなり止めて悪いけど、何でこんなブルジョワ学園番長が、って言うか番長ってまだ絶滅してないの?」
「すっごいワルでね、酒も煙草もやり放題博打もへっちゃら泣かせた女は数知れずって噂なんだから!」
「しかも何気に聞いてないし
「この前も“冒険者”って名前の暴走族グループと大騒ぎしたとかで、始業式から2週間も謹慎喰らったんだぜ! シンキン感湧かねえ? ぷぷっ」
湧かない湧かない、それ以前に今の苦し過ぎ
「それだけ無茶しても、退学処分はされないから、実は成績いいらしいとか、理事長の親族かもとか、まあこれも噂だけどね。で、どうやって知り合ったの?
穏やかだが逃げを許さないナッジの笑顔に、何でこんなに盛り上がってるんだろうと内心呻きながら、サファイアはぼそりと答えた。
「…痴漢から助けて貰ったの。ほら、9組のタルテュバとか言う奴」
そう、彼女も登校途中で思い出したのだが、列車を降ろされた痴漢の犯人(らしき男)、実は同じ学年で、先日も女生徒に因縁を付けていたのだ。
「あーあのバカ男―――って、サファイアの従兄じゃないか!」
エステルの叫びに、サファイアは再度倒れ込みそうになる。
「はあ、何で!?
「だって、あの人レムオン先輩の従弟なんでしょう? 全然似てないけどさ。そうか、サファイアとも従兄妹同士なんだ」
いとこにチカンするなんて、やっぱり変な人ぉ!
新発見を喜ぶクラスメイトの脇で、50ダメージを受けている少女。駆け出し新入生にはクリティカルヒットである。
よりによって、あの第一印象最悪な男と、縁戚関係がある事になってしまうとは。
(それもこれも、やっぱりレムオンの所為じゃない!)
サファイアは改めて、かのおさげの気取り屋を除かねばならぬと決意するのであった。なんと涙ぐましい。
ともあれ、教室の床からようやく立ち上がった少女だったが、その耳に、場違いなほど涼やかな声が飛び込む。

「―――サファイア様に御用がありますの。お呼び頂けませんこと?」

(ひえっ!)
硬直するサファイア達5人の周囲で、男子達が一斉にどよめき、逆に女子達の気圧が急降下した。
「…お、おはようございます、ティアナ様」
思わず敬語になりながら、サファイアは恐る恐る声の主―――教室の入口に立つ学園理事長の娘ティアナを振り返る。
「まあ、そんな所にいらっしゃいましたの。目立たれないからちっとも気付きませんでしたわ。御機嫌ようサファイア様」
(うわーん、今日は何なのよー…)
このティアナ=リュー、1学年では最も華やかで美しく、成績も優秀な高嶺の花なのだが、何故だか新学期当初からサファイアを目の敵にするのである。
実はその背景に、ティアナとは異なるタイプの美貌を持つサファイアが、幼稚園から成績トップだった彼女を差し置いて入学試験で1番を取ったからという、色々とややこしい事情があるのだが、サファイアには知る由もない。
ともあれ、サファイアが今一番苦手とする相手は、普段どおりつんと澄ました素振りで、だが普段よりはっきりと不機嫌さを滲ませて、この編入生を攻撃しに来たのだった。
「今朝は、どうしてもサファイア様にお会いしたかったのです」
「な、何ですか?」
「決まってますわ。私の婚約者とご一緒に登校なさるなんてどういう了見かと、お伺いする為です」
「へ? 婚約者?」
目を瞬かせるサファイア達1年3組を、敢えてゆっくり見渡すと、理事長の娘は演出性たっぷりに肩をそびやかして見せた。

ゼネテス様の事ですわ」

「えええええええ!!!!?」
1年3組は勿論、野次馬で集まっていた他クラスの生徒達にも、激しい動揺が走った。
まさか、あの恐怖の番長が、1年のマドンナ婚約者だなんて。
世の中、知らない方が良い事もあるものである。
「って、皆知らなかったの?」
「だってだって、普通結びつかないじゃないか!」
「確かに、野蛮素行不良お酒臭くて、私自身結婚などと想像しただけで虫唾が走りますけれど、それでも間違いなく私の婚約者なのです。軽々しい行動は慎んで頂きたいですわ
だったら普段から止めろよ。
全員が心の中で突っ込んだ。
「…それで、納得のいく説明をして頂けるのでしょうね?」
ティアナの有無を言わさぬ態度に、「だから説明も何も…」とサファイアは呻いて、だがそのまま顔を引き攣らせた。
野次馬達の彼方から、一等苦手な人間がやってくるのを見てしまったのだ。

「ぎゃあ、来るな!
「サファイア! 貴様何処であの男と知り合った!!」

身を翻すサファイアの襟首をむんずと掴んだのは、言わずと知れた彼女の義兄、おさげの気取り屋こと生徒会長レムオン=リューガである。
学園一の美形の登場に、今度は女子達が色めきたった。
ティアナでさえ、先程の超然とした態度は何処へやら、素早く自慢の金髪を整えて上目遣いの体勢をとる
「まあレムオン様。どうしてわざわざ1年生の教室まで?」
「い、いや、大した用事ではない。ただこの妹の所為で朝から不愉快な気持ちにさせられてな」
頬を染めながら、しかし婚約者の居るティアナの顔を見たかったとも言えず、ひたすら義妹の耳を引っ張るレムオン。
一方のティアナは、以前なら間違い無く自分に会いに来た幼馴染が、突然降って湧いた妹ばかり構う素振りであるのに、
「…仲が宜しくて、結構ですこと」
思い切り険悪な視線をサファイアへと注ぐのだった。
哀れサファイア、とばっちり塗れで完全に逃げの体勢である。義兄を倒す誓いは何処へやった。
「あーもう、とにかくあの人とは今日電車で会ったばっかり! 助けて貰っただけ! それでお終い、もう帰れ!!」
「おいおい、お終いってのは酷ぇなあ。これからじゃねえか」
「――――――!?」
突然降って来た声に、サファイアは再度絶句した。
周囲から今度は、悲鳴とも歓声ともつかないものが響く。番長との呼び名は伊達ではないらしい。
「ゼネテス、貴様!」
こちらは勢い良く振り返るレムオンの隣で、ティアナは大人しやかになる…かと思いきや、
「ゼネテス様! 仮にも婚約者である私に断りも無く、他の女性を口説かれるとは、どういう事ですの!?」
サファイアの時以上に眦を吊り上げ、食ってかかり出した。
「へえ、断りがありゃ良かったのかい?」
「……っ、その仰り様が失礼だというのです!」
珍しくむきになるティアナの様子に、勘の良い男性陣、とりわけレムオンが憮然とし始める。
これ幸い、とサファイアは義兄の手を抜け出し、教室に入ろうとしたのだが、
「ま、あんたは俺を嫌ってるんだからな、構やしねえだろ。それより今日はレムオンの妹姫さんに用事が有ってな」
ぐい、と肩を引かれて留められてしまった。
「いえ、私は何もないんで、もう授業の準備……」
「―――忘れモンだ」
「え?」
思わず振り返った少女の頬に、柔らかいものがぶつかる。



離れない。



(………えーと………)
周囲の皆が真っ赤な顔で固まっているのを、サファイアは只今臨死体験中といった気分で眺めていた。
「―――ん。お近付きの印、な」
ちゅ、と音を立てて顔を離し、男がにやりと笑った。
…それでサファイアの五感も一気に戻ってくる。

「きゃああああーーーっ☆」
「いっやーーーーーーー!!」

クラス全員の歓声を凌ぐ勢いで叫ぶなり、右手を翻した
しかしそれも、ぱし、とあっけなく捕らえられてしまう。
「フフ、平手打ちか。威勢がいいな、気に入ったぜ
いりません!
ショックでまだ声が出ず、胸の内で絶叫する少女である。
「帰りも一緒の電車に乗ろうな」
「けけけけ結構です!
「そうか、いいんだな。楽しみにしてるぜ」
押し売りかよ!!
またも全員が心の中で突っ込んだ。
それには構わず、「お、予鈴だな」とゼネテスは去っていく。
上機嫌なその背中を茫然自失の態で見送るサファイアに、
「と、とにかく俺は、あの男だけは許さんからな!」
「サファイア様、私、認めたわけではありませんからね!」
レムオンとティアナが、各々好き勝手な事を喚いて、走り去っていった。

「…いやー、凄いモン見ちまったな!」
修羅場ってヤツ!?」
「このクラスになって良かったー♪
朝から豪華な顔触れを拝めた事に、教室中が興奮する中、

(…も、もう嫌だ、元の学校に戻りたい……)

サファイアは、ようやく辿り着いた己の机に、ぐったりと突っ伏したのだった。


 

こんな毎日は嫌過ぎる。

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