月影


瞼の向こうで、何かがきらきらと光っている。
(ああ…知ってる)
きっと父の畑だ。黄金色の麦穂が、風にさざめいて海の様に揺れているのだろう。
…否、あの眩しさよりも、もっと冴え冴えとしている気がする。
何処までも広がるあの煌きと違い、闇の中それだけが輝いている様な強さを感じる。
只其処だけで輝く、金の光。
孤高で。
すらりとした立ち姿。

(―――!!)

浮かぶ人影にぎょっとした、その弾みでサファイアは飛び起きる。
見開いた視界に、しかし光は無く。
「え―――うわああぁっ!」
―――光が翳った理由はすぐに知れた。
彼女の目の前で、インプと呼ばれる妖魔が、巨大な糸紡ぎ車を振りかぶっていたのだ。





正真正銘の悪夢だ。
仕留めた妖魔の死体を見詰め、そう少女は毒吐く。
村を追われたのが僅かに1週間前。自分を殺そうとした相手から貴族に仕立て上げられ、冒険者に身を窶せば野営中をモンスターに殺されかける。単純に数えても、既に3回は死んだ計算だ。
(それもこれも……)
サファイアはぎり、と奥歯を噛み締めた。―――あの領主。ノーブルを代官などに任せて政争に感けていた、あの金髪男が悪い。彼が来なければ、自分はこうして街道で寝る必要も無かったのに。今頃、弟と一緒に、ノーブルの小さな家で眠っていられたのに。
(…そうでもないか。反乱の後は、どうせ死ぬつもりだったんだから)
―――しかし、彼が村にボルボラを宛がわなければ、そもそも蜂起しなくて済んだのだ。
「……ああ、もうっ」
次々と湧き出る、限りなく後悔に近い感情。それを紛らわせたくて少女は栗色の髪をぐしゃと掻き混ぜ、不意に走った痛みに顔を顰める。
先程、モンスターの攻撃を防ごうとして、咄嗟に盾を利き腕で掴んでしまった。左手でさえまだ練習中の使い慣れぬ代物、ともすると筋を痛めたかもしれない。
それでも―――暫く剣を使えずとも、今殺されるよりは遥かにましだろう。
腹立たしい原因は其処にこそあった。
彼女の命を守った盾は、件の領主の手回しで下されたもの。
今夜と、蜂起の際の2度。単純に数えたその3回が3回とも、サファイアは金髪男―――レムオン=リューガに救われた格好になるのである。

「……最悪……」

溜息を吐いて、サファイアは傍にあった木の幹に背を凭せる。
見上げれば、丁度梢の途切れた端から、月明かりが音も無く降り注いでいた。
先程彼女の瞼の裏に映ったのはこれだろう。闇夜に独り、皓々と浮かぶ光。
冷え冷えとした眩さが、何処か色素の薄い金髪と、それを一本残さず後ろに束ねた感情を見せぬ男を思わせて、サファイアはふと自嘲を覚える。

(あいつが月なら、私は何?)
力の無い女だ。
貴族に振り回され、代官を倒せず、村を守れなかった。
今だって、たった1匹の妖魔に梃子摺らされて
地べたで手足を投げ出す姿は、夜空の輝きから見れば、さぞ滑稽であろう。

(―――冗談じゃ、ないわ)

こんな所で野垂れ死んだら、あの男に鼻で笑われる。
いけ好かないあの男。
きっと眉一つ動かさずに「あれだけ愚かな真似をしておきながら、所詮はこの程度だったか」とでも言うのだろう。

言わせるものか。
見返してやる。
彼が、貴族が目端にも掛けない平民の力を、思い知らせてやる。

駆出し冒険者として王都を出て数日、旅慣れぬサファイアの原動力はこの一念だった。
強く願うあまり、夢にまで見る始末だ。
…しかし、先程の夢で目覚めなければ、彼女はインプに糸車で打ち据えられるまで気付かなかっただろう。それを鑑みると、見事4つ目の借りが出来た事になる。
余計な事に気付いてしまった、とサファイアは苦虫を噛み潰す思いで月を睨む。
(見てろよ。絶対、強くなってやる)
こんな事で助けられた等と感じない位に。
彼の助太刀が無くとも、彼女一人で、大事なものを守れる位に。

悔しさに胸を叩かれて、目を閉じても眠気は襲って来そうに無い。
しかし月の光を遮らなければ、思い出の風景が、何処よりも美しい黄金色の畑の記憶が、この輝きの前に褪せてしまいそうで厭なのだ。

…その不安が、本当に彼への苛立ちだけに由来しているのか。
まだ若いサファイアは確かめる術を持たなかった。


 


レムオン誕生祭「私のお兄様」で出したお話です。
時期は「迷子」の途中。旅立ちからまだ2日目の、ひよっこ主人公です。


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