迷子


正直な話、甘く見ていた事は否めない。
ノーブルでは一番腕が立ったという自信もあった。
それだけに、現状について、サファイアは軽い困惑を覚えていた。

つまる所、一人旅とは想像以上に困難だったのだ。





余剰の小麦を徒歩2日の王都へ売りに行った以外、ノーブルを出た経験が無いサファイアの認識では、モンスターとは人気の無い場所を好むものであった。
縄張りを侵さなければ、彼らは人を襲わない。無害な人間に危害を加えるのは、盗賊か支配者階級―――どちらにしろ、同じ人間種族だ、と。
そう考えていた彼女にとって、モンスターが街道を、それも白昼堂々闊歩する光景は、一目には信じ難かった。
戸惑う内にも、魔物達は彼女に攻撃してくる。
歯が立たない訳ではないが、如何せん数が多い。
その上、昼と夜の区別無く襲ってくるのだ。ロストールを発って2日目の晩、眠っていた所にインプの襲撃を受けて以降、サファイアは碌に睡眠も取っていなかった。
こんな道を、冒険者はともかく非武装の人間がどうやって進むのか。
…そう思って旅人を観察すると、多くは護衛を伴って、或いは馬車で移動している。
護衛についていたのは、サファイアと同じ冒険者だろう―――冒険者ギルドで見せられた依頼に、護衛の字もあったのを覚えている。だが、今から引き返して同業者を雇うのは、彼女のプライドが許さない。
馬車など論外である。乗り合いでもかなりの額を取られるし、親切な村馬車に乗せてもらうにしても、結局はモンスターの襲撃から逃れられない。魔物に備えて高価な装備を施した馬車は、今度は盗賊の餌食になる。道端で、車の残骸が魔物の巣となっているのを見る度、サファイアは寒気を覚えていた。
そうして旅路を急いでも、日暮れまでに街道沿いに点在する集落へ辿り着けなければ、野営をする他に無い。
増して冒険者とあっては、集落の人間も快く泊めるとは限らない。宿を請う巡礼者が無条件に迎え入れられる横で、素気無く扉を閉ざされた事は一度や二度ではなく、つくづく冒険者とは社会の外の存在だと思い知らされたサファイアだった。
疲れた体に鞭打って村を後にし、血の匂いを嗅ぎ付けたモンスターを退けながら僅かな休息を貪る。
旅程の殆どを野外で過ごす事6日、いい加減手持ちの薬も尽き掛けた頃に、サファイアはようやくディンガル帝国首都に辿り着いた。
大門を潜ったその足で、だが彼女はギルドへの手紙配達も薬の調達も忘れて宿屋へ直行し、久方振りの安眠を得たのである。





…それから丸一日経った今、サファイアは別の場所で寝台に横たわっていた。
豪奢ではないが柔らかく、良い匂いがする布団は、固い地面に慣れたサファイアには落ち着けず、何度目かの寝返りを打たせている。
その衣擦れの音さえ躊躇われる程の静寂と、暖かな空気。
(昨日までからすると、天と地の差だ……)
否、天上とは行かなくとも、非日常には違いない。
外界から隔絶されたこの屋敷。

サファイアは、“猫屋敷”に辿り着いたのだ。
運命に選ばれた者しか入れない―――そう聞かされた場所へ、いとも簡単に。

賢者の森に踏み入って数分。あまりの呆気無さに却って動揺したサファイアだが、彼女を迎えに出た者達を見て更に唖然とした。
名前にも関わらず、猫はただの一匹と、長いローブを纏った賢者が一人。
サファイアより少しだけ年上にも、また遥かに年嵩にも見えるが、明らかに尋常ではない気配を持つ男―――これがまた恐ろしく美形で、サファイアは初め女性と思い込んで接してしまい、後で平謝りする羽目に陥った―――は、流石に賢者と言うべきか、掴み所の無い言動を取る。
おまけに、妙な入墨をしたネモとかいう仔猫は、人の言葉で「俺様は元魔人だ」等と言い張る。
一人と一匹に言い包められる様に、如何にも怪しげな依頼―――ゴブリン3匹を探す話を承諾させられ、引き換えに仲間を呼び出す機械と、ついでに今夜の宿まで提供されて、サファイアは狐につままれた気分のまま現在に至っていた。

(仲間、か……)

呟くまま、もう一度寝返りを打って見上げた天井。
ノーブルの家とは違う木目を見つめる内、ふと涙が滲みそうになる。
…死と隣り合わせの旅路で、彼女の心を支えていたのは、故郷に残した弟の事だった。いつも側にあった筈の笑顔。
(チャカ……チャカ)
あの子の為に、死んではいけないと思った。
だけど、彼が居ない事で、こんなに心細くなるとは思わなかった。
ずっと守り育ててきたつもりが、逆に自分の唯一の支えだったという事実。
―――側に、居て欲しい。一人で進むのは怖い。
だけどそれは叶わないから、今は切実に、頼れる仲間が欲しかった。
(でも……何処に居るの? どうすれば見つかるの?)
冒険で偶然会う事があるだろうか。ギルドで声を掛ければいいのか。
賢者に質問を呈しても、返ってきたのは静かな微笑みと「世界を巡って下さい」という言葉。

―――出会えますよ。貴女を必要とする人に……貴女が、必要とする人に。

(何故、そう言い切れるの? 私を必要とする人なんて居る訳がないのに)
起こすべきでない反乱を起こした自分。
…だが、初めにそれらの事情を説明した時も、賢者―――オルファウスは「大活躍だったんですねえ」とのんびり頷くばかり。
あまつさえ「冒険をするなら此処を拠点に」と申し出てくれた。リューガ家を頼りたくないばかりに、思わず「いいんですか!?」と飛び付いてしまったサファイアを、益々気に入ったと笑って。

リューガの文字が浮かんだ途端、必然的に大嫌いな金髪男が連想されて、サファイアは思い切り渋面になった。
(何で、あいつの事思い出さなきゃなんないのよ…!)
怒りの余り、感傷も吹き飛ぶ程だ。
実の所、旅路で彼女を支えたもう一つが「野垂れ死んだらあの男に馬鹿にされる」という一念だった。寧ろそちらに奮起した方が多いので、余計に腹立たしい。
(そうよ、レムオンなんかに絶対絶対頼るもんか!)
頭の上まで布団を引き上げ、ぼすっ、と乱暴に被る。
むくれ切って目を瞑った少女の耳に、隣の部屋だろうか、微かな話し声が届く。


 ―――いいのかよ、おんなじコト頼みやがって。
 ―――………の事ですか? まあ、鉢合わせしたらその時はその時でしょう。
 ―――無責任な奴だな。それだけじゃねえ、お前あの二人に聖杯を管理させるつもりだろ?
 ―――あなたに任せるよりマシでしょう? それに、あの子達は運命なんかに負けない位強くなりますよ。………も、サファイアもね。


彼女の事も話題に上っている様だが、よく聞き取れない。
(そう……強く、ならなきゃ……)
旅立つ前に決めた。強くなるのだと。
だが今の彼女は、まるで行く当てを定められぬ迷い子だ。
それではいけない。泣いたりしては駄目だ。
どんなに心細くても、前に進まなくては。

…そう言い聞かせても、癒え切らぬ傷の痛みが、決意を鈍らせる。
―――あんな目に、もう遭いたくない。惨めな思いをしたくない。
(だったら、強くならなくちゃ)
―――どうやって? 一人ではとても無理だ。
(仲間が、欲しい……)
けれど、まだ見ぬ旅仲間を想像出来る筈も無く、脳裏に浮かぶは人懐こいあの笑顔ばかり。
(……チャカ……)

―――会いたい。



縮こまったまま見た故郷の夢は、とても懐かしくて、眩しくて。
目覚めたサファイアの胸をより一層締め付けたのだった。


 


うちの黄金主は、強いには強いけれど、誰かを守る事でしか強くあれない子です。特にスタート時。
だからよそ様の女主さんより弱っちい(苦笑)。
この途中の話が、6月の祭中に載せた「月影」です。


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