鋼玉玲瓏
―願わくばその強さが我が道を照らさん事を―


「誕、生日?」
思わず鸚鵡返しにした言葉に、ティアナはええ、と頷いた。
「もうすぐでございましょう? レムオン様のお誕生日。サファイア様は、どんなプレゼントをご用意なさいましたか?」



―――そんな遣り取りから、4日後の夜。リューガ邸前に佇む少女の姿があった。
「サファイア様? お入りにならないのですか?」
馴染みの門番が首を傾げるのに、曖昧に微笑んで、サファイアはこっそり息を吐く。
…名門リューガ家の末娘、即ち、当主レムオンの妹という触れ込みの彼女だが、実際は8ヶ月前に出会っただけの、赤の他人である。ロストールに戻る度、この家に顔を出してはいるが、王宮勤めの義兄は不在、もう一人の兄エストも冒険中に遭う方が多いくらいで―――つまる所、家人の誕生日など知らなかったのだ。
あの日、ティアナに訊かれて、咄嗟に彼女の用意を聞き返した時(我ながら珍しい機転だと思う)、見せられたのは一揃えの飾り釦。宮廷お抱えの彫刻師に頼んだのだというそれは、奢侈に慣れぬサファイアの目にも美しくて―――宝石を直接彫り込んだようにも見えたそれを思い出しながら、サファイアはいささか鬱になる。

冒険で生計を立てると決めてから、この家には一切頼っていない。
…だが、一介の冒険者の収入では、貴族の使う高級品に手が届くはずも無く。
手持ちの中でで珍しそうな品と言えば、今握っているこれ位。

「…仕方ないか」
諦め半分に覚悟を決めて、サファイアはようやく門を潜った。



「これはサファイア様。今日は珍しい時間にお帰りですね」
出迎えた執事の言葉に、サファイアは苦笑する。普段なら昼間に立ち寄るのだが、今日は冒険の報告に手間取り、遅くなってしまったのだ。
(でも、なるべく今日中に渡したいしな…)
お泊りになりませんか、というセバスチャンに丁重な断りを入れ―――ふと、微かな花の香りに気付く。
「ああ、この香りですか? 今日はレムオン様宛に、たくさんの贈り物を頂いたのです」

導かれた扉の先には、見慣れた豪奢さも霞むほどの、花。花。花。むせ返るほどの匂いに、思わず一歩引いて。
「レムオン様は、ご婦人方に人気ですから」
セバスチャンの言葉に瞬く内、花束の他にも色とりどりの箱が目に入る。

「すごいですね…でも、肝心の受取人は?」
「書斎においでです。急ぎの件があるのに、これがあっては集中できないと仰って」
確かに、と頷きながら、少女は動揺を隠すのに必死だ。…ティアナに見せてもらった奥ゆかしい物を想像していたが、どうやら上流階級の女性は、中々押しが強いらしい。一張羅でも入っていそうな箱など見ると、自分の用意した物が恥ずかしくて仕方ない。
「レムオン様をお呼びしましょうか?それとも、ご自身でお渡しに?」
…しかも執事には、来訪の理由を見抜かれている。
「いや、あの」
やっぱり帰ろうか、と躊躇した時、セバスチャンがすっと下がる。
「え、」
「セバスチャン、すまんが茶を…、サファイア?」
―――久方ぶりの当主は、ローズグレイの双眸を、僅かに見張らせた。

きり、と束ねられた金髪。優雅なガウンを羽織っても尚、冴え冴えとした雰囲気。
初めて会った時から、この怜悧な印象は変わらない。

「…仕事じゃなかったのか」
サファイア自身も驚く程、ぶっきらぼうな声。執事の笑う気配に、耳の熱さを自覚して彼女は俯いた。―――分かっている、子どもっぽい反発だと。今更貴族を目の敵にする必要は無い。それに彼は、ボルボラと違って頭も良くて強くて立派で―――
「集中出来んと思ったら、小喧しい仔犬がいた所為か」
―――否、ひとえに反りの合わなさが原因らしい。
「ちょっと待て!いきなりヒトを犬呼ばわりか?」
「ほう、五月蝿い自覚はあったのか」
「今程大声は出してないだろ、勝手に私の所為にするな!」
まあまあ、と穏やかな声が二人を遮る。
「折角レムオン様もいらした事ですし、お茶を召し上がって行かれませ、サファイア様」
「え、…あ、お茶?」
にっこり笑って退がろうとする執事を、サファイアは慌てて留めた。小物入れから包みを―――“珍しい物”の一つを引っ張り出す。もう一つは後回しだ。
「お土産…なんです、もしよかったら」
分断の山脈以北でしか育たない植物の茶葉。有能な執事はすぐにそれと見抜く。
「今年の新茶ですね。エンシャントでお買いに?」
少女が頷く間もなく、低気圧な声が割って入る。
「…貴様、ディンガルをうろついているのか? その小さな頭に政情不安という言葉は入っていないのか」
「南側は仕事が少ないんだから仕方ないだろ? 大体、世界を見ろって言ったのは―――」
…ご心配ならご心配と、一言仰ればよいのに―――胸中の苦笑を、だが表には出さぬまま、セバスチャンは茶の準備の為にその場を辞した。



「―――あれ、開けないの?」
居間を占拠する贈り物、それらに背を向けて座る義兄。躊躇いの無い動線に、入り口で立ったままのサファイアは首を傾げた。
「あんたへのプレゼントだろう?全部」
「毒仕込みのな」
「―――!」
顔を引き攣らせた少女を、義兄は鼻で笑う。
「冗談だ。全てではなかろうよ―――こんな物で殺せると思うほど単純な相手なら、俺の敵にはならん」
整った横顔に閃く冷笑。美しい花々を背景にしてさえ、背筋を寒くするそれ。
「知っているか。古代の王は、娘の体に毒を仕込んで他国に嫁がせ、初夜の褥で夫王を殺して、その国を奪ったと云う。毒とはそうやって使う物だ」
「…あまり聞きたくない話だな…」
眉根を寄せて、サファイアは傍らの壁に背を凭せた。陰謀や駆け引きの類は好きでないのだ―――尤も、それを言えば「頭が悪いからだろう」と一蹴されるのだろうが。
「じゃあ…どうするんだ?みんな…、捨てるの?」
「…欲しい物でもあるのか?」
「要るか!」
戸惑いから一転、きっぱり言い切って、だがサファイアは視線を落とす。誕生日の贈り物さえ、素直に受け取る訳にいかない彼が、ひどく―――可哀想に思えたのだ。
(…貴族に同情する日が来るなんて、思わなかったけど)
いつ命を狙われるか、全てを失うか知れないというのでは、冒険者と変わらないではないか。否―――信頼できる仲間が居ない分、余計悪いかも知れない……。

…思考に沈む義妹を、一方のレムオンは横目で眺めていた。
(…旅に出る前よりは、逞しくなったか)
度々この家にも顔を見せるのだと、執事に聞いている。昼食時にでもお戻り下さい―――と、遠回しに不在を非難されたが、特に用事がある訳でも無し、政敵の小細工も及んでいないと見て、放って置いたのだ。
(しかし…用があったらあったで、夜に出歩かせるのも体裁が悪いな)
実際の所、少女はレムオンに会う為にこの時間を選んだ訳ではない。だが、このささやかな誤解は、以後エリエナイ公が邸宅で過ごす時間を増やす要因となる。

「―――それで? 俺に用があったのではないのか」
思考を揺すぶられ、咄嗟に「ああ」と頷いて、サファイアははっと固まった。
(別に用なんか無いって、このまま帰ればよかったじゃない)
…とは言え、既に機を逸しているのは事実。
いつしかこちらに向いていた、赤みがかった淡い瞳を見返す内、少女は何となくヤケに近い心境になった。―――どの道、何を渡しても皮肉られる事は間違いないのだ。
(だったら、こんな石の方が、まだ毒の心配もないでしょうよ)
唇を引き結ぶと、つかつかとレムオンに歩み寄り。
「ん」
小物入れから出したものをコト、と机に置いた。
「…? 聖光石か?」
「ああ。アルノートゥンで冒険してきたからな」
義兄が手に取った事に安心しながら、掌サイズだった石が彼の手の中で小さく見える事に気付いて、サファイアは妙に憮然とした。

―――ここより遥か北方、アルノートゥンの近くでしか採れない鉱石。
自然発光するのが珍しくて、ギルドの仕事分とは別に、1つ取っておいたのだ。
(でも、プレゼントに出来そうな物、他に持ってないし……それに)
…あの鉱山の静謐さと、冷冷としたこの輝きは、何処となく彼を思わせて。
下手に発掘した美術品を渡すより、ずっと良いような気がして。

「…で、これが?」
「………、…土産」
素直に言えないのは、情けないけれど。
(いつか、言える日が来るだろうか)
反発する事なく、心を許し合って―――誕生日おめでとう、と。

「フ…ン、店で買ったのか?」
―――そんな殊勝な気持ちを、どうして踏み躙ってくれるんだろう、この男は?

「買っ…、あのなあ、冒険って言ったろ?採ってきたんだよ!」
「だろうな。売り物ならもっと整っている」
「………!!」
絶句した目の前、まるで傷の具合を調べるように矯めつ眇めつする義兄を見て。
怒り心頭のサファイアは、足音も荒く居間を出た。エストとセバスチャンの誕生日には絶対に倍以上大きな石を準備してやる、と固く誓いながら。



「…全く、騒がしい女だ」
嘆息するレムオンの表情を見たのは、だから、手の中の薄青い光のみ。



聖光石など、彼ほどの権力ならば容易く入手できる。第一、初めて見る代物でもない。
…それにも関わらず、レムオンの観察は、戻ってきた執事がお茶の準備を整えて、

お茶を淹れた器が、空になって、

「………………」

もう一度お茶を淹れるべく、セバスチャンが部屋を出るまで続いたのである。






「―――ところでレムオン様。ご自慢の妹君は、何かプレゼントを下さいまして?」

後日、訪れた王女の部屋で、突然振られたサファイアの話題に驚きながら。
レムオンが不機嫌そうな、でもティアナにだけは分かる嬉しそうな顔で、光を放つ鉱石を懐から出したのは、また別の話。




 


はい、タイトル負けしてます(泣)
実は、本文より表題に時間かかりました。適当な四字熟語が見つからず、結局造語(しかも副題まで)。
鋼玉とは、ご存知の方もおられましょうが、コランダムの事です。コランダムとは…ま、いっか。
…そしてこれ以後、兄上は突然リューガ邸に出没するようになったと。


SS部屋