雨音


さあさあと、玻璃の向こうで音がする。



朝から降り続く雨が、窓の外を煙らせ、時間の感覚を幾許か狂わせる。
こんな日は冒険に出る気も起きず、
瀟洒な作りの長椅子に寝そべったまま、彼女は薄暗い風景を眺めていた。

昔から、雨は嫌いではなかった。
小麦に降り注ぐ恵み。
気まぐれな神々の慈愛。
次の朝、生き返った様に輝く、青々とした畑。
…そう、あの頃も藁を縒りながら外を眺めたものだ。
空気に水を含んだだけで、まるで違って見える町並みを。



「…楽しいか? そうやって一日中眺めているのは」

不意に掛けられた声に、少女がゆるりと首を巡らすと。
正面の机に座る、この部屋の主が、執務の手を止めて彼女を見つめていた。
「退屈そうにでも見える?」
「見えるな。それに……」
言い差して、だが相手はふと口を噤み。「何でもない」と呟くと再び筆を動かし始める。
生真面目な彼―――レムオンの言いたい事が分かるから、少女は目だけで笑うとこちらも窓に目を戻した。
そうして暫し、水が玻璃を伝う様を追い―――。
忍び寄る穏やかさに身を任せて、すうと瞼を閉じる。

視界を遮ってしまうと、雨音が一層心地良い。
何処からか入り込んできた、水の匂いも。
肌に纏わり付く、冷え冷えとした空気さえも。

―――しかし、それよりも快いのは。

先程から雨音に重なっていた、紙に筆を滑らす音が、ふっと止まる。
少女が息を潜めていると、注がれる視線を感じ―――ややあって小さな溜息と、かたり、と椅子を立つ音が聞こえた。
「……また眠ったのか? 全く……だから退屈そうだと言うのだ」
呟きと共に、肩を抱かれてそっと持ち上げられる。
長椅子が沈み込む気配の後、彼女の頭は、先程までの椅子の感触とは異なるものの上に置かれた。

雨の匂いが、もっと違うそれに掻き消される。
ひんやりした体を、別の温もりが包む。
「眠くなる程退屈なら、本でも読ませるものを……」
―――そして、耳に快く響く、低い声。

眠っている事を確認する為か、視線が注がれるのを感じたが、ややあってそれも外される。
今は、雨の風景でも見ているのだろうか。
膝に乗せた妹の頭を、指先でゆっくりと梳きながら。

静かな筈なのに、雨の音が届かない。



「…お前は、雨の日はいつも寝てしまうな。まるで猫だ」
囁く様な声と、密やかに笑う気配。
―――何時になったら気付くだろう? 近頃の彼女が、雨の日しか此処を訪れない事に。
眠ったふりが出来る、雨の日に。
彼が王宮に行かない、雨の日に。

「雨は、嫌いか?」
(いいえ。好きよ)
胸の奥で呟いて、小さく―――分からない程小さく、彼の膝に頬を摺り寄せる。

神が気まぐれに注ぐ恵みは、
眠る彼女にだけ見せるこの人の優しさと、何処か似ている。
…だから、雨は好き。



「そう言えば、この前エストが戻ってきた。旅先でお前に会ったと言っていたぞ………」

起こさぬ様にであろう、普段よりも低く紡がれる声。
あまりに優しいので、再び雨音が戻ってくる。
…それでも、さあさあと響く音以外は、何も聞こえない。
世界の全てが雨の中に吸い込まれて、この部屋だけが取り残された様。



雨は好き。
世界に只二人だけの様な錯覚。



雨は、好き―――。




 


黄金畑主その1と兄様です。彼女はプレゼントの代わりに時節ネタですね。
とも様のお宅に提出させて頂きましたv

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