約束


4日後の夜を空けておくようにと、言い残したのは彼女だった。
また何か企んでいるのだろう。あいつが何かを計画すると、決まってろくな事が起きない。
…そう考えながらも、何処か浮付いた心地を無視する事が出来ずにいる。



「―――レムオン様? どうかなさいましたか」
訪ねた先の幼馴染にそう問われて、レムオンはいや、と頭を振った。
「何故その様な事を?」
「もう4度も、窓の外をご覧になっておられます。そんなにティアナとのお話がつまらないですか?」
「いや、そんな事は」
レムオンはその言葉にぎょっとしたのだが、当のティアナは白い手を口元に当てて、くすくすと機嫌良さそうに笑って見せる。
「無理もありませんわね。今日は妹君がお戻りになる日でしょう?」
「…何故、それを」
「まあ、ご自分で仰ったのではありませんか」
「俺が? まさか、いつ……」
「ええ、嘘ですわ」
さらりと翻され、一瞬己の記憶を疑ってしまった貴公子は憮然とした表情になる。
年上の幼馴染から一本取った事で、王女は更に上機嫌になりながら、「先日こちらに来られて、4日ほど冒険に出られる事を教えて下さったのです」と、彼の妹との話を明かした。
「余程待ち遠しくていらっしゃるのですね」
「バカな。居てくれない方が静かでありがたい」
「ティアナの目はごまかされなくてよ。妹君がご一緒でない時の、レムオン様のお顔といったら…うふふ、絵師を呼んで描かせたい程ですわ」
「…王女殿下もお人が悪い。俺が同じ手に乗るとでも?」
「あら、今度はちゃんと証拠がありますわ。饒舌なレムオン様らしくもなく、今日は相槌の様なお言葉ばかりですもの」
「………………」
黙したレムオンに、「お戻りになられたら、ティアナにも会いに来る様伝えて下さいね」と念を押すと、王女は腑抜けた幼馴染を早々に送り出したのであった。



宮廷を辞して屋敷に戻ると、義妹は既に待っていた。
そして小言の一つも垂れようとするレムオンの腕を掴み、ぐいぐいと厩舎へ引っ張っていくのである。
「こんな時間に、馬車でも出す気か?」
「馬車じゃ間に合わないわ。馬で行くの」
男勝りの彼女が、この屋敷に来てまず覚えたのが、乗馬であった。
以来、ロストールに帰ってくる度に遠駆けに出て、レムオン以下屋敷の人間達を呆れさせている。
「冗談ではない。俺は疲れているのだぞ」
「なら私の後ろに乗せてあげようか」
「いらん!」
あっけらかんと笑いながら、彼女はさっさと馬に跨り、厩舎を飛び出した。
レムオンは「下らない用事だったら殴る」と心に決めて、それでも急いで後を追う。



2時間ばかり駆けた頃だろうか、先行する妹が馬を止めた。
「この辺りよ」
ひらりと飛び降り、馬の背を叩いて労いながら、暗い林の中へ入ってゆく。
一連の動作の滑らかさに、ふと見惚れたレムオンだった。
…今だけではない。馬を駆る後姿も、普段の伸びやかな表情も、彼女は人を惹きつけるものを持っている。
何しろ、宮廷の人間に点の辛いあのティアナが、気に入っている程だ。
それにつけても昼間の遣り取りが思い出されて、レムオンは再度顔を顰める。
―――しかし、この女は何処へ行こうというのだろう。
日没を疾うに過ぎ、辺りは暮闇と呼ぶには暗過ぎる。梢の間から漏れる月明かりだけが、二人とその馬達の道行きを照らしていた。
耳に届くは葉ずれの音と、この先にあるのだろう小川のせせらぎのみ。
視界を遮る木々が開けても、この暗闇では、流れの存在を確かめる事は出来ない筈だ。
…筈、であった。

「……何だ、これは?」

レムオンは呆然と呟く。
目の前に開けたのは、あたかも空を彩る星々が舞い降りてきたかの様な光景。

「蛍よ」
「蛍だと? 馬鹿な、数が多過ぎる」
レムオンは言ったが、しかし確かに、緑掛かった星は闇に軌跡を引いている。
「お兄様は貴族だもの、見た事があっても1匹や2匹でしょう? でも月がこの大きさになる時期、この時間が、一番数が多いのよ」
得意気な声の調子に、レムオンは振り返ったが、闇に慣れた目に映ったのは酷く切なげな、懐かしむ様な表情だった。
「この時期になると、いつも此処に来て、寝転んで眺めていたわ」
「……そうか……」
言われてみれば、この辺りはノーブルの町から歩いて1日弱の場所である。
レムオンの脳裏に、穏やかな顔で光の乱舞を見つめる妹の姿が浮かんだ。
彼女からその平穏を奪ったのは、他ならぬレムオン達貴族の政争だった。負い目を感じない訳ではないが、それを素直に謝罪できる彼でもない。
それで唯「美しいな」と呟くに留めた。
だがその声を聞きとめたのだろう、並び立つ少女がぱっと振り向く。
「本当!? 嬉しい、お兄様にどうしても見て貰いたかったから」
「俺に…?」
「そうよ。私のお気に入りの場所だもの」
瞠目するレムオンから1、2歩離れ、彼女は改めて体ごと彼に向いた。

「私の一番のお気に入り。だから、お兄様にも気に入って欲しかった。
 本当はちょっと不安だったけど、喜んで貰えて、嬉しい」

率直な言葉と、飾らない笑顔が、レムオンの体から靄を奪い去っていく。
…思えば、黄金色の風景を背にしたこの微笑みに、レムオンは惹かれたのだった。
宮廷での騙し合いや、口先だけの遣り取りに比べて、あまりに素直で正直な彼女。

目を見張ったままの義理の兄に一歩近付き、表情を覗き込むと、彼女はその気の強そうな造形に挑むような微笑を浮かべた。
「こんなの、まだ序の口よ」
「何だと?」
「世界を回れと言ったのはお兄様じゃない。だから私は世界中を旅するわ。そしたらもっともっとお気に入りが増える。でもお兄様はどうするの? あの狭い石畳の町に閉じ篭ったまま?」
「…俺には、共和制を復活させるという責務がある」
「そうね。だから私が連れ出してあげるわ」
―――先程から彼女の瞳に煌いているのは、蛍の光だろうか。
「世界中で素敵な場所ばかりを選んで、お兄様に見せてあげる。だからお兄様の闘いが終わったら私に付き合って。約束よ」
―――それとも、月光を浴びた己の髪だろうか。

「…フ、俺は、滅多な事では驚かんぞ」
レムオンが口端を上げると、相手の少女はその瞳を面白そうに細めた。
「どうかしら。何なら賭ける?お兄様が感動したらお兄様が、しなかったら私が、お互いにキスしなくてはいけないというのは?」
「やめろ。貴族は賭け事などせん」
「あら、つまらない」
肩を竦めてすいと離れる仕草が、蛍の様だ、とレムオンは思った。
―――縛り付けておける女ではないと、出会った時から判っている。
光を放っても捕まえられぬ蛍の様に、指の間をすり抜けて、飛んでいってしまうだろう。
それでも、彼を待つというその言葉は、快感だった。

(…そうだな、貴族である事をやめたら、或いはその賭けに乗ってやってもいい)
以前の彼なら考えもしなかった未来が、酷く待ち遠しく感じられる。

見上げた夜空に、光がひとつ舞い上がって、ふつりと消えた。


 


サファイアとは違うタイプの黄金畑主人公です。クールですが、実は一箇所凄ぇ勇気を振り絞ってます。
即席なので、ちょっと口調が一定してませんが、大目に見て下さいf(^^;)


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