帝国大学付属エンシャント高等学校
ズバシュ!!
「はいソコ寝なーい! 寝たら殺すかんね?」
「寝なくても死にますって、そんなん!!」
黒い頭―――髪の色ではなく、黒兜を被っているからだが―――を抱えて喚く生徒に、カルラはけらけらと笑って、教鞭代わりの大鎌をもう一振りする。
ひゅん!どごっ!
「口の利き方、なってないよ〜?」
「ご、ごめんなさい……」
顔面すれすれに鎌を突き立てられ、生徒はそう言ったきり、泡を吹いて卒倒した。
「哀れな…」と呟いた他の黒い生徒達―――やはり兜を着けている、ついでに言えば爪先まで真っ黒な制服、と言うより全身鎧である―――も、カルラの爽やかな笑顔を向けられた途端口を噤む。
エンシャント高校でも、カルラは一際有名な教師だ。黒鎧の生徒達の中にあって水着の様な服、いや寧ろきっぱりと鎧を着ている事もあるが、それ以上に彼女の授業は眠れないのだ。狭い教室内で大鎌を振り回しながら授業を進めるので、迂闊に寝ると死ぬのである。
「はいはーい、さっきのココ、テスト出すかんねー?」
ガンガンガン! ガラガラッ、ガシャン!
…しかも、その鎌で黒板も叩くので、砕け落ちる前に全て書き留めねばならない。
万一写し損ねて、テストで解けなかったらどうなるか―――等、聞かなくとも想像に容易い。
文字どおり死にもの狂いで筆を動かす生徒を前に、
「うんうん、やっぱり最後は腕力がモノを言うのね……」
ぴちぴちのスーツ、いやもうしつこい様だが鎧を着た、教育実習生のアイリーンが生真面目にメモを取っている。
その視線が、ふと窓に向けられた。
「…あら?」
「お、噂の新入りじゃん。朝イチで来るっつってたのに余裕だねえ。どれどれ……」
カルラが興味深々に身を乗り出した、窓の向こう側。
正面玄関の前に、朝から闇の気配の芽を一つ排除してきたばかりのネメアが、悠然と立っていた。
結びもしない金髪ロン毛、所々に金の意匠を施した黒い服―――もとい鎧。校則違反とも取られかねない姿だ。
トドメを刺すように大遅刻であるが、痴漢を捕まえて遅くなった事は、先に電話で伝えてある。
堂々たる佇まいとは裏腹に、新任教師らしく他の授業の様子でも見ようかと、目を向けたグラウンドでは、
「………………」
身長2メートルを優に越すふんどし一丁の男が、独りで黙々とランニングをしていた。
何事かと後方を見れば、黒い塊が点々と転がって悶えている。
鎧で長距離走でもしていたのだろうか。
と言う事は、あれは体育の授業だろうか。
それ以前に、体育以外でグラウンドを使う授業が高校にあるのか。
いや、エンシャント高校にはあるのだ。模擬合戦とか。
…どちらにしろ異様な光景に、しかし己も全身鎧を着用しているネメアは、ひとつ頷いただけで止めもせず校内へ歩を進めた。
「よう来てくれた。ネメア=ランガスター=ディンガル君」
校長室でネメアを迎え入れたのは、緋色の―――もはや言うまでもないが鎧を着た老練の男だった。エンシャント高校の校長、アンギルダンである。
遅れた事を詫びるネメアに、「何の、手柄じゃったそうではないか」と鷹揚に頷き、ソファを薦め。
「急に呼びつけて済まなんだ。事情は先に話したとおりだが…」
「前校長エリュマルクの事件、ですね」
左様、とアンギルダンは眉を曇らせる。
アンギルダンが急遽抜擢される前、校長であったエリュマルク。
しかし彼は、PTA代表のイズと不倫関係になり、彼女を殺してしまったのである。名門校のスキャンダルは全国紙に書き立てられ、新学期直後にも関わらず、エンシャント高校は閉鎖の危機に陥った。
幸い存続は決まったものの、事件への関与を疑われて何人もの教師が免職処分を受け、教諭数は始業式当時の半数にまで減っていた。
そこで、昨年の採用試験でエリュマルクが「優秀過ぎる」と不合格にしたネメアに、白羽の矢が立ったのである。
「お主にとっては、因果な事と思うが……」
「いえ、運命には抗うと決めていますから」
「頼もしいの。…うむ、入ってくれ」
ノックの音にアンギルダンが応じると、扉ががちゃりと開いて、頭にアンテナを生やした男が入ってきた。
「ネメア君が来てくれたぞ。…紹介しよう、こちらはベルゼーヴァ。うちの教頭を長い事務めてもらっておる」
立ち上がって会釈するネメア。
そんな彼を、アンテナ男は上から下まで観察し、ぼそりと呟いた。
「……美しい」
「「??」」
「ところで校長、提案された分断の山脈への鍛錬遠足ですが」
挙句さらりと流された。
「うむ、あの件か」
「却下します」
「…即答じゃの。しかし確か、最終的な決定権は校長のわしにあったと思うたが…」
「校長の強権は分散させました。先の醜い校長の事件で、教育委員会もPTAも警戒しております。今後も妙な案件を出されれば容赦なく捨てますので、そのおつもりで」
先頃までの上司を醜いと切り捨て、「では」と踵を返す。
入退室の挨拶も無い。
「…見てのとおりじゃ。教諭も到底団結しているとは言い難い。とりわけ、わしとベルゼーヴァの仲は悪うての」
生徒や保護者の信頼篤いアンギルダンと、天下りのベルゼーヴァ。
確かに水と油かも知れない、とネメアが感じたと同時、ドオオン!と爆音が轟いた。
床に伝わる衝撃で、部屋の棚がぎしぎしと悲鳴を上げる。
「………?」
「ああ、心配無い。恐らくユーリスじゃろうて」
また実験に失敗したようじゃな。
既に何度も怪しげな風邪薬を飲まされたり、珍妙な白髪染めを掛けられたりしているアンギルダンは、「なあに、3日もすれば慣れるわ」と豪快に笑う。
「ともあれ、よろしく頼む。やり甲斐だけは保証しようぞ」
ネメアが校長室を辞すると、扉の外にアンテナ男が跪いていた。
「………?」
「ネメア様。私の事はどうぞ、ベルゼーヴァとお呼び下さい」
深々と頭を垂れる。
ぴしりと尖った髪が、ネメアの鎧に突き刺さりそうだ。
「我が主は、あなたをおいて他に居ないと革新、いえ確信しました。エンシャントの為、ひいては人類の新しい第一歩の為、私はあなたに忠誠を誓いましょう」
教頭に傅かれてしまった。新米教師なのに。
立ち上がったベルゼーヴァが「では」と最敬礼して去って行くのを見送りながら、ネメアは一体何なのだろうと首を捻った。
しかしその疑問も、耳をつんざく怒鳴り声で掻き消される。
「アタクシが! このアタクシが!! 先にこの部屋を予約したと言ってるでしょう、ドワーフのクセに生意気よ!!」
「じゃが、さっき職員室でレルラに確認したら、わしがこの部屋を使うからお主の申請は断ったと言うておったぞ」
「キーッ、だったらレディのアタクシに譲るのが道義でしょ!!」
呆れ顔のドワーフに、エルフがぎゃんぎゃんと噛み付いている。
その周囲で「合同授業だー」とほのぼの喜ぶ黒い生徒達。
「………………」
確かにこれは大忙しかも知れない、と頷くと。
ネメアは己の初授業に出るべく、教鞭代わりの槍をがっしと構えて歩き出した。
正式名称:大ディンガルエンシャント帝国大学付属エンシャント高等学校。
多分6月あたりに校歌が「ネメア様賛歌」になるんじゃないかと。
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