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かつて、その城は光に溢れていた。 皓月も霞まんばかりに輝く、水上の楼閣。 湖の小島にそれを造った主は、岸辺の街を橋で繋ぎ、皆を呼び寄せた。 人間もエルフもドワーフも、あらゆる種族が分け隔てなく集い、 宴の声は連夜、途切れる事が無かった。 忌まわしきあの日―――月を、闇に喰らわれた時までは。 「分け隔てなく…か。物は言い様だな」 嘲弄の響きに、バンシーは振り返り。きっ、と相手を睨む。 「夢のような城だった。皆、あそこに惹き付けられた」 「魔の類は呼ばれなかったであろう。隔てられた、と感じたからこそ、奴等は城を奪った」 ―――満ち月が、突然欠け始めたあの夜。 水面の影に開いた深淵から、次々と悪魔が飛び出してきた。 逃げ惑う人々を屠り、弄り、忽ち城を占拠して。 …灯りがふつと消えた後に、闇から吐き出された月の禍々しさを、自分達はこの木陰で、震えながら見ていたのだ。 「…そう、お前達は此処に居た。かの城は、身分高き者しか通さなかった」 「それは、」 「最も多い筈の精霊種族は、衣服を持つ長しか呼ばれず、残りは此処から灯を眺めていた。違うか?」 窮したバンシーに肩を竦め、傍らに立つ男は、淡々と続ける。 「エルフやドワーフとて、選ばれるは人に害意を持たぬ者ばかり。達観した者には、人間の使者を相手にせず、代理をよこしたのも居たな」 幻想だ、と昏い城を見据えて言い切る男。 「美しく見えるもの、都合の良いものだけを集めた虚飾の宴だ。…あの城とて、街が戦に襲われても、橋を落とせば自分達は安全である様に造られたのだのだろう? 愚かな…全ての種族に門戸を開くと言いながら、人間相手の事態しか視野に入れず、その人間の事すら省みなかった」 容赦の無い台詞に、バンシーは笛を握る手に力を込めた。 ―――見も知らぬこの男の言う事は、正しい。 かつて自分達は、ただ憧れを抱いて、夜毎の宴を見つめるのみであった。 決して、その賑々しさの中には入れないのだと―――足を運ばずとも知っていた。 だからただ、笑い声を遠くに聞いて。 それに合わせて笛を吹いて。 「……それでも、我等にとっては、幸せな夢だった」 梢を揺らし、湖を波立てて、歌い踊る日々。 月より眩しき楼閣を、我が事の様に誉れと感じながら。 …あの幽玄の灯火が消された夜。 恐怖と、怒りと、余りに多くの人々の死に、涙枯れるまで嘆いたはずなのに。 数え切れない程の満月が上がった今なお、涙を零す自分が居る。 妖の飛び交う廃城に臨み、独り旋律を奏でれば、溢るるはただ哀惜の想いばかり。 「…それで、他の精霊が去った後も、此処を守っていたのか」 城を見つめていた男が、初めてこちらを向く気配がした。 …奇妙な人間だった。 バンシー―――死を呼ぶ精霊と言われる自分に、臆せず近付いてきて「何を見ている」と問う。 目の前には、かの廃城しか無いというのに。 ―――そう返せば、「過去か、未来か」と、まるで謎かけの様な事を言うので。 無視して笛を吹いていたら、あちらも黙って湖の向こうを眺めていたのだ。 「…守るなど、そんな力は我には無い…」 バンシーは、人やドワーフの様な腕力は持たない。魔法を使える訳でもない。 ただ、相手に来る死を読んで、涙を流すしか出来ない。 ―――そうと分かっていても、哀愁は断ち難く。 仲間の精霊達が去り、或いは殺され、自らも死の恐怖に怯えながら、 城に灯が点る時を待ち続けているのだ。 「…あの城に、灯が欲しいか。かつての様な光が欲しいか」 先程までの突き放した口調とは違う、真摯な響き。 思わず口から笛を離し、見返した先、貫くような眼差しに一瞬戸惑う。 諦めや怯えの表情に慣れたバンシーに、それは、酷く心を揺るがす強さであった。 「―――欲しい」 滑り出た、かそけき声に。 男はふっ、と口元を緩める。 「ならば、お前のために、それを為そう」 目を見開くバンシーに、男はマントを翻して歩み寄った。 「これより、あの城に攻め込み、魔物を排し、我が手に奪還する」 「何を―――馬鹿な、1人でなんて無茶だ」 1人ではない、と男は背後を指す。 「どうやら、お前と同じ、あの城を忘れられぬ者達が居るのでな」 思わず振り返り、飛び込んできた光景に唖然とした―――陣を敷く屈強な人々の群れ。人間、エルフにドワーフ、その他大勢の精霊種族、数多の獣達まで。 「何故…どうやって? お前、一体……」 「なに、どうやら13代目の城主とやらでな」 は、と顎を落とすバンシーの前、男はあっけらかんと笑った。 「玉座にしがみ付く贅沢好きの親父を見放して、放浪する間に落城の知らせを受けた。皆殺しにあったと聞いて、使えそうな奴を集めて回る内、随分時間が経ってしまったな」 「…取り返すのか? 幻想だと言った癖に」 「近場に魔物の居城があっては、街が栄えん。不在中の分も纏めて、立て直す必要もあるのでな。城はお前達の好きにするといい―――昔のままに戻すか、お前が中に入れるようにするか」 「…………あ」 ―――ずっと、ずっと待ち望んでいた扉が、突然開いて。 しかもその先に、思いもしなかった天国への階段が続いている。 「泣くのは、まだ早いぞ」 無骨な指が、見た目に反して優しく頬を拭う。 「あの城で、勝利の声を上げて貰うのが先だ。―――来い。共に闘おう」 「…我は、何も出来ない。武器を使った事も…無い」 「構わん。軍は多いほど威圧感が増す。今は1人でも仲間が欲しい。…それに、城の守り人が参戦するとなれば、士気も上がろうというものだ」 「…だから、我は守ってなど…」 「守るも見守るも同じ事だろう、気にするな。要はハッタリだ」 無茶苦茶だ、と思いながら、抗えない自分をバンシーは感じていた。―――信ずるに足る何かを、この男は持っている。敢えて表すならば、覇気―――王の資質、とでも言うような。 (王……我らの王。我らの主) 浮かんだ言葉に、また心が震えて。 「…魔物達が静かになる時間なら、判る」 声を搾り出すと、男はにやりと笑った。 「それは、心強い」 そう言って差し出された力強い腕を、暫し見つめ―――。 それを借りて木の枝を滑り降りたバンシーは、膝を付き、新しい主に頭を垂れた。 「…ところで、お前はバンシーだったな」 言いながら、数歩先を行く男が振り返った。 「城に居る魔物達が、どれだけ死ぬかも、視えるのか?」 「…自分達の心配はしないのか?」 「生憎、負ける気は無いのでな。せめて敵の為、派手に嘆いてやってくれ」 肝が据わっているのか、只の無謀か、判別できない台詞。それにバンシーは否と答えた。 「我ら種族は、主の為にしか泣けない」 主人や、慈しむ相手の為に嘆き悲しむのが、バンシーの授かった能力。 そう言うと、目の前の男は首を傾げる。 「ほう?…では、今お前が泣いていないのは、俺が死なんという事か」 「…お前は、あと100年経っても、殺しても死ななさそうだ」 半眼になったバンシーの言葉に、違いない、と主は声を上げて笑った。 光を点しに行こう。永久に消えぬ灯を。 満月さえ翳って見えた、あの美しい城に。 夢の跡となった廃墟に、新たな夢を。 平和を待ち侘びた人々に、安寧と希望を。 ―――そして、嘆きの精霊に、喜びの歌を。 |
Copyright(C)Tomo Siraki |
幻想的な素材を配布していらっしゃる、とも様のサイト「the forest of cat」。
こちらで、2種類のお城の素材を見た事から、この物語は生まれました。
枯れ枝の上で1人、笛を吹く彼女を、何とか幸せにしてあげたくて…。
美しいバナーを作って下さったお礼に、(派手にお待たせしつつ;)形を整えてお見せしたところ、
お気に召して頂けたようです。よ、良かった…。