Beaucoup de voeu, l'espoir de Soleil


リベルダムの闘技場では、観客が審判である。
正審が居ない訳ではない。ただ、開始合図はともかく、勝負を決する声は、場内を揺るがす声援にかき消されてしまうのだ。
だから客達は、戦士が膝を屈したか否かで勝敗を見抜き、歓声や悲鳴を上げる。戦士達はそれを聞いて勝ち負けを確認する。そんな奇妙なフィードバックが成立していた。
…今も丁度、試合の白熱ぶりに観衆がどよめいた所だった。



「…痛テテ…。あークソ、強くなったなソレイユ」
抜き身の剣を支えに立ち上がるのは、剣狼と名高い男、ゼネテス。不思議な巡り合わせでソレイユとルルアンタを助けて以来、たびたび彼女達の面倒を見ている。
彼に膝を折らせたのは、何と、そのソレイユだった。
事情を知らない観客達も、いかにもほっそりした少女が大本命のゼネテスを倒したとあって、大騒ぎである。ゼネテスに大金を賭けていたのか、あちこちで怒号やらクッションやらが飛んでいた。
…それらの喧騒より何より、ソレイユは当のゼネテスに苦笑していた。本気で闘えば、到底彼女の敵う相手ではない。だがゼネテスは、女性―――とりわけ妹のようなソレイユに、剣を振るうような男ではないのだ。
(華を持たせてくれた…って、所かしら)
実際、大儀そうに動く男の顔色は、試合前とちっとも変わっていない。ソレイユの得意なユナイトスペルを2発浴びたというのに、だ。
不本意そうな鳶色の瞳に気付いて、ゼネテスはにやり、と唇を歪めた。
「ま、頑張れよ。あと1人で予選突破だろ?」
…そう、今の試合で、ソレイユは7人抜きを達成したのだ。あと1人倒せば、8月の決勝大会に出場する権利を得られる。
肩越しに手を振る男の背を見ながら、後で何かご馳走しようか、とソレイユは小首を傾げる。…だが、それも次の相手に勝ってからだ。正直な話、魔法を使う精神力はかなり消耗している。
(剣で勝てる相手だといいけれど…)
そう思いながら、父の名を冠した剣の柄を握り―――現れた人影に息を呑む。



元は深紅であったろう、年季の入った緋の鎧。
白髪が混じるアッシュグレイの頭。

―――見間違えようの無い、かの名将の姿。



ディンガルのお尋ね者とは言え、中立、いや寧ろロストール寄りである自由都市に、人望厚き戦匠を拒む理由は無い。
鷹揚に手を振る老傭兵の登場で、競技場は、この日最大の盛り上がりを見せた。

「ほう、ソレイユか。お主と戦えるとは、年甲斐もなくわくわくしおるわ」

はっはっ、と豪快に笑ったアンギルダンが、手にした戦斧をぶんと振るう。幾多の戦いを潜り抜けた、傷だらけのそれを見ただけで、並みの者は肝を冷やすだろう。
ソレイユはそうではなかった―――それ所でなかった、と言うのが適当か。

(…アンギルダン、さん………)

―――まさかここで会うとは。闘技場でまみえるとは。
呆然とする間にも、老将は中央まで歩み出てきた。酒場で見せるものより、少し太い笑みを浮かべ―――斧をぐ、と構えて重心を落とす。
どよめきが一層大きくなる。少女の奇跡の8人抜きか、老将の貫禄勝ちか。期待に満ちた熱気の中で、だがソレイユの手は震えていた。
剣を持った手が、上がらないのだ。彼女の意志に反して。
(意志…?)
…否、先程からソレイユの頭に響いている言葉は。

「行くぞ、ソレイユ!」



―――タタカイタク、ナイ。



地を蹴る相手の動きを捉えながら、ソレイユの体は動かなかった。





「……イユ? ソレイユったらぁ!」

鼓膜を打つ声で、ソレイユは我に返った。
「手当て、もう終わったよ? ご飯食べに行くんでしょ?」
「…え、あ……」
瞬いた先には、顔を覗き込むルルアンタ。闘技場での試合は終わって、ソレイユは宿屋に戻り、ルルアンタから怪我の治療を受けていたのだ。
(そっか…負けたんだっけ)
胸に落ちた言葉で、アンギルダンとの試合を思い出す。刹那、斧の背で打たれた部分が疼いて、ソレイユは身を縮めた。
…どう戦ったのか、記憶に無い。ただ、礼もそこそこにあの場を抜け出したのは覚えている。居たくなかったのだ。あの場所に―――アンギルダンに対峙するような場所に、居たくなかった。

(ゼネテスとは、剣を合わせる事が出来たのに)
かの人に剣を向けると、想像しただけで傷が―――否、胸が軋むのだ。

「…ソレイユ!? ソレイユ、どうしたの? まだどこか痛いの?」
被ろうとした帽子を放り出して、ルルアンタが駆け寄ってくる。そんなに痛そうな顔だろうか、と思いつつも、しがみ付くしか出来なくて。
「…ルル………」
ふわふわした紅茶色の髪に顔を埋めて、ソレイユは息を吐く。
鈍い痛みを押し出すように。

―――理由なんて解らない。ただ、アンギルダンさんと戦いたくない。
(あの方にだけは、剣を向けたくない………)



無限の輝きを放つ、ソレイユの魂に。
今、一つの意志が生まれようとしていた。







「ビクター通り商店街」の1000ヒット記念に、
よん様の女主人公・ソレイユさんのイメージで、書かせて頂きました。
…これまた、載せて頂けるとは思わず、右往左往してしまった一作;
異様に大袈裟な題名は、ジルオールの語源「数多(無限?)の意志」と
某有名小説の外伝の題を引っ掛けたからです。テンパリ具合が伺えます(苦笑)。




戻る