9月14日・晴  高校野球の報道に関する苦言

昨日、一昨日のニュースになりますが。
夏の甲子園決勝で対決した両エースが、それぞれの進路を発表されたそうですね。
早実の子は、当初の希望と同じみたいで、よかった。
苫小牧の田中君は、プロ入りを希望とのこと。
彼の球威と、度胸は、当方も高く評価しております。
ぜひプロで大活躍してほしいですね。

早実の斉藤君については、ちょっと複雑な感想がつきまといます。
彼自身ではなく、
彼への、ミーハー的な騒ぎ方が、ひどく不愉快なもので。

彼は確かに、大人しい、優しい子に見えます。
しかし、エースを任され、且つそれを成し遂げるだけの、芯の強い子ですよ。
スライダーをがんがん投げてくる、強気な子ですよ。
決勝前夜、「駒大を倒すのは早稲田ですから」と言い切ったのは、
紛れもなく彼でした。
当方など、寧ろその心意気に惚れました(笑)。

今時珍しい礼儀正しさ?
まともに練習してるスポーツ少年なら、それ位当たり前でしょう。
「記者会見を終えて退出する時、他の人の椅子も、きちんと片付けた」?
ちょっと待て。それは常識だろ。
むしろ、他の大人は片付けなかったのかと・・・。

百歩譲って、それらの持て囃し方を許すとしても。

ブランド不明の青いハンカチを、追い求めるメディア。
真似をして買った少年。
それを見て騒ぐ少女。

その内、果たして何人が、
彼のもう一つのエピソード「お母さんに気遣いのメール」を
真似しましたか?

(注:斉藤君は、炎天下で観戦されるお母様に、
  決勝戦が再試合になった事を詫び、体調を気遣うメールを送ったそうです)

何かの本に、
“人々は、聖母マリアの為に、ロウソクを1本灯しはしても、
 彼女の行いを真似する事はない”
という内容の文がありました。
欧米での風刺とはいえ、
それを読んでドキリとした、あの感覚は、未だに鮮明です。

斉藤君は、マリア様ではありません。
夏の甲子園優勝という偉業に、貢献しこそすれ、
投球以外は当たり前のことをやっているだけです。
当たり前に躾を受け、当たり前に礼儀作法を会得し、当たり前に親を思い遣る。
誰でも受け得る、出来得ること。
それを「出来ない」「凄い」「珍しい」と言うのなら。

ちょっと、ご自分を省みた方がいいんじゃないですか?

 
 
9月11日・晴  “パパは眠ってるの?”

世界貿易ビルセンターの倒壊から、5年が経ちました。

5年前、帰宅してまず飛び込んできた、激突の瞬間の映像は、
今でもはっきりと思い出せます。
真横から綺麗に、はっきりと、中継されたシーン。
まるで、初めから、その時その場所で起こる事が
解っていたかのような。

繰り返し繰り返し、流された、悲惨な映像。
辺りを覆い尽くす粉塵を「健康には影響ない」と言い切った公式発表。
アーティスト達の活動自粛、或いは行動など、それぞれの抗議を尻目に、
他国への侵略に踏み込んだ政府。

狂気のるつぼの様だった事件から、5年が経ちました。

終わらぬ軍事行動に、疑問を抱く声が増えたこと。
大統領を批判したアーティストが、
「反愛国的」と糾弾され、CDも壊されて、なお闘い続けていること。
被害者や遺族への補償が不十分なこと。
ビルの粉塵が、癌や肺機能障害などを、引き起こしていること。

多くの人々を苛み、蝕みながら、5年が経ちました。

それでも人は生き続けます。
苦しみながらも、命を尊び、他人を愛します。

今夜、「報道ステーション」で取り上げられた、粉塵を吸ったある警察官は、
血を吐き、記憶障害に苦しみ、死の影に常に怯えながら、
それでも幼い娘を慈しむのを止めませんでした。
そうして、娘をベッドに運んだある夜、そのまま息を引き取ったそうです。
目覚めた娘が最初に見たのは、
床に倒れ伏した、大好きな父親の姿。

その場面を思うと、やるせなさや憤りとは別に、
苦しさに耐えて、最後まで娘を思い遣った、父親への敬意が
頭をもたげます。

愛情、家族、建物、街・・・。
人が一つ一つ積み上げるものを、破壊行動は、簡単に壊せます。
報復行動も然り。
在るもの全てが無に帰され、時にはマイナスにまで引き摺り落とされて、
どん底に突き落とされた人も居るでしょう。
立ち直れない程の痛手を負った人も居るでしょう。
・・・だけど、もう一度積み上げようとする人も居ます。
震える手で。
力の入らぬ足で。
幾許もない余命を振り絞り、無駄だと響く声に抗いながら、
もう一度、生きる為に、もがき続ける人が居ます。

それは醜い姿ですか?
愚かしい事ですか?

私は、美しいと思います。立派だと思います。

目を逸らさないで下さい。
正面から、きちんと見つめて下さい。
貴方のその手に必要なのは、本当に、武器ですか?
彼等と同じ家族を、再び生み出す、その道具ですか?

答えは、簡単なこと。
彼等を襲ったのと同じ悲劇を、繰り返してはいけないのです。
例え地球上の何処であっても。

テロ事件から5年が経った今。
見るべき事、考えるべき事、為すべき事を、
改めて捉え直さなければいけないと感じています。
今、我々が取っている行動は、本当に正しいのか。
間違っているのなら、修正する必要があるでしょう。
生きている我々の未来の為に。
そして、あの事件及びその後5年の間に犠牲になった、あまりにも多くの方々の為に。

やり直す事は、恥ではありません。

命があってこそ、やり直せるのですから。

 

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